2006/05/29 (Mon)
最近なんとなく50年後美術の世界をなんとなく考えている
・デュシャンの論理は全く通用しない
美術館や美術品が美術品に見える仕組みが変わっていると思う。オフミュージアムや個人の美術館や収集館、公民館や博物館の中の美術館とかにと、凄い小分けされるか、大枠の一部に美術が含まれそう
・長続きするアートインレジデンスの企画が「新しき村」のような問題を抱えるところも出そう。
・DIAや、カルティエなど美術を支える大きな財団が、第2のMOMAやグッゲンハイムのようになるのか?な
日本だと宗教関連の美術館が意外と破綻しそう。
・印象派おばさんは減るが、現代美術おばさんが増える。デザインフェスタのオカンアート化
・中国って、どうなるんだろうな?
・NYCとかアメリカは駄目になりそう、州より大きな単位、国より小さな単位でブロック分けしそう
・映像やテキストや音声で完結するものが共有とか配信で受信は出来るようになりそう
・誘致力営業力のある建築家は良いけど、ごく少数に、そうじゃない建築家は、家具や内装やったり、文章書いたり(これって今だ!)。スター大工が登場!
それでこれから10年は何となく1950年代がモデルになる気がした。
人事異動的には、適当に思いつくところ
ピカソやマチス、パリ→南仏、
デュシャン、パリ→NYC
藤田嗣次 東京→パリ
岡本太郎 パリ→東京
マイルス・デイビス アメリカ→パリ
形式から入るカッコ付けマンな人が多くて、コアな人はその場から居なくなる印象が、現代のニースやNYCって何処ー?
あとNYCは今から20年後ぐらいに学生運動が起きそう、それで少数派の頭良い人達が集まるのだなぁと、パリをモデルにした話ですが。1950年代の美術の出来事
1950年代
技術
ビリー・クルーヴァー。科学者としてスウェーデンから渡米。1954
美術
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所美術部美術部研究会開始。1954
東京画廊開廊
松方幸次郎、死去 川崎造船所・神戸瓦斯(ガス)などの社長を歴任。1950/6/24
花田清輝「アヴァンギャルド芸術」出版1950
『芸術新潮』創刊 1950
新聞各紙で美術批評始まる1950
『読売新聞』滝口修造、『毎日新聞』土方定一、1950
『朝日新聞』植村鷹千代 1950
東山魁夷「道」1950
岡本太郎「森の掟」1950
ニューマン「夜の女王」1951
「アンリ・マチス展」@ 東京国立博物館 1951/3/31
パノフスキー「ゴシック建築とスコラ学」1951
エドワード・ホッパー「Rooms by the Sea」 1951
第26回ヴェネツィア・ビエンナーレに初公式参加。梅原龍三郎、鏑木清方、小林古径、徳岡神泉、福田平八郎、山本岡人、横山大観、吉岡堅二、 川口軌外、福沢一郎、安井曽太郎ら12名が出品 1952
具体美術協会設立1954-1972
デ・クーニング「女と自転車」1952-53
山下菊二「あけぼの村物語」1953
マチス1954年11月3日、ニースで没。
岡本太郎「今日の芸術」出版1954
『具体』創刊 1955
ジョーンズ「標的と石膏」1955
パノフスキー「視覚芸術の意味」1955
欧米抽象絵画展@京都府ギャラリー1956
ハミルトン「一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」1956
吉原治良「具体美術宣言」1956
ミッシェル・タピエ、ジョルジュ・マチウ来日。1957
小林秀雄「近代絵画」1958
建築
サイモン・ローディア/ワッツ・タワー1921-54
イーロ・サーリネン/TWA航空ターミナル・ビル(NY)1956-62
コ・ルヴィジェ/ロンシャン礼拝堂(ロンシャン)1950-54
アントニン・レーモンド/リーダーズ・ダイジェスト東京支社(東京)1951
坂倉準三/神奈川県立鎌倉近代美術館(神奈川)1951
前川圀男/日本相互銀行(東京)1952
増沢洵/コアのあるH氏のすまい(東京)1953
前川圀男/神奈川県立図書館・音楽堂(神奈川)1954
大江宏/法政大学(東京)1953-58
丹下健三/津田塾図書館(東京)1954
丹下健三/広島平和会館(広島)1955
村野藤吾/広島世界平和記念聖堂(広島)1955
吉田五十五/吉住小三郎邸(東京)1955
丹下健三/香川県庁舎(香川)1958
atomium
うーん。こんな創造的に色々出来るか知らないけど、人が流動的に先進国の都市から動いていくように思います。
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2006/05/28 (Sun)
素晴らしい偶然を求めてラーメン屋でラーメン喰ってトイレでウンコしようとして出てきたら、店内に、さかもと、くぼうち、ピロスエが、お店を出ると、瀧坂君が、いったいどういう偶然なんだか?素晴らしい
というか、そのメンツ、さかもと様々のヤン富田のチケット枠だったんですが、有名な店でもなく、待ち合わすわけもなく出会うなんて、素晴らしい偶然。
>ヤン富田の本とCD発売記念パーティ >"フォーエバー・ヤン ミュージックミーム1&2" >2006年5月26日 六本木super deluxe >ヤン富田/キャロライン・ノヴァク/スージー・キム/いとうせいこう >/高木完/doopees/naives/ダブ・マスターX ほか
に行ってきた。普通にソールドアウトで、ギョーカイ君すし詰めるイベントかと思ったが、そう業界な人が多いわけでもなく、パンパンの大入りな会場でもなかった。 ただ、会場で席に着いたときに、最前列中央にA.K.I.が陣取っていた。A.K.I.が観客に居るイベントは良いイベントだと察しやすいし、ライブは実際最高だった。 (A.K.I.はライブの神様で、観客にA.K.I.がいるライブは大概良いライブだと思います。)
まず、開演すると、ヤン富田もカバーしたと思しき曲や、doopeesの音盤になって無さそうなものがかかり聞いてるだけで楽しい
ヤン富田登場サイン波やカケイ波で倍音を出しつつ演奏、横に居た人はうっかり寝込む心地よさ(w。途中からなんか聞き覚えがあるメロディのループが流れ、舞台の脇から、ブロンドの桂にワンピースの女性が2人登場、「ドゥーピーズです」と自己紹介そして唄う。 初めて見るSFXじゃないドゥーピーズが舞台で唄っている。 ドゥーピーズは企画もので、デジタル音楽のオペラというか、電話の時報の声のような合成ボイスで誰だか?わからない、キャロライン・ノヴァクとスージーという女性が会話するように唄い物語が進むようなアルバムで、実際誰が唄っているかも一般に明かされることも無かったのですが、以前のアルバムが出た10年ぐらいたって今。 目の前でドゥーピーズが唄っているのが衝撃的で、バッファロー・ドーターの大野由美子さんが、キャロライン・ノヴァク(声)だったようです。これが一番ビックリした。
次にナイーブス(いとうせいこう+ヤン富田+高木完) タイミング的に以前、A.K.I.と山口小夜子の柄谷行人の本の朗読ライブにきた、いとうせいこうがヤン富田に、 「ヤンさん、また音楽やりましょうよ」と会話していたらしい、タイミング的にも合いすぎるので、そういうことだろう。 このメンツはヤン富田の文章を添削する意味合いで、いとうせいこう+高木完が居合わせたとの事。 結果的に、藤原ヒロシの居ないタイニーパンクスなんだけど、「東京ブロンクス」のフレーズをサンプリングしたり、当時の掛け声をやりつつ いとうせいこうは詩の朗読に、高木完はラップすると。 僕にとっては、いとうせいこうも、高木完もラップの人という印象が強くても、そういうライブは観たことがなく、いとうせいこうはタレントで、高木完はラップやらないけど音楽をやるという印象があるような? いやしかしね、いとうせいこうが音楽をやって、高木完はラップするところを目の当たりにするのは凄い吃驚した。 僕はメジャーフォースの音盤は聞いてはいたのですが、実際目の当たりにしたのはSDPのデビュー以降なので、凄いなぁと、凄いものを見てるなぁと 音楽のクオリティ云々でなくて、中学生の頃に、きっとトウキョーでは面白い音楽のイベントやってるだわんと想像して今まで見られなかったことが、目の前で演奏されていることに感動。
再びdoopeesの登場、新曲「だいじょーぶ」 ヤン富田が生ギターを引いていて、今までエレクトロニックな機材やマイナーな楽器を演奏するエンジニアが、生ギターのような素朴な楽器を弾くと、生ギターが、メディウムだとか、テクノロジーとして聞こえて来るから不思議。(最近細野晴臣も、普通の楽器を弾いているようですね) あと過去の曲も幾つか、やったなぁと doopeesの「だいじょーぶ」は、前のアルバムが、キャロライン・ノヴァクさようなら〜!という展開に合わせてか、帰ってきたキャロラインのような歌詞になっていて、口ずさみたくなる感じも又良かったです。
今までこのライブにかかわった人が舞台に出た人全員登場 ヤン富田/大野由美子/スージー・キム/いとうせいこう /高木完/ダブ・マスターX(宮崎泉)
一々紹介が長く、想像以上にヤン富田さんは、おしゃべりということが判明。 動いたり喋ったりする宮崎泉も初めて見ました。凄い吃驚した。 ミュートビートのエンジニアで、歌謡曲をダンスチューンにリミックスして海賊版で出すようなこと、例えば、ドリカムとか、ウィンクとか、なんだったかな?"DUB WA CRAZY"ってシリーズで色々あったような気がします。今ではavexの名エンジニア・リミキサーですよね。ちょっと古いけどフォルダーとか浜崎あゆみとか、やっていたように思います。 高校時代、愛読した雑誌でriddimというレゲエやスカなどの専門フリーペーパーで、荏開津広や宮崎泉の連載など良く読んでいたように思います。riddimを読んでいた理由はタダだったからです。 あと話題として、「不良は裏切らない」ということ そのほか、どうでも良くて楽しい話題多め
シメとして、「だいじょーぶ」が、いとうせいこうのリードボーカルでみんなで再演奏。
アンコールは。2種類のスティールパンで「星に願いを」など、幾つか演奏。 スティールパンは、打楽器で音階があってピアノのようなものだけど、演奏する様子を見ると、必ずしも、片手でメロディ、片手でリズムというわけでもなく「星に願いを」などでも聞き覚えのあるメロディが鳴ったと思えても、途中でメドレーのように何か別の曲に、移り変わったような感覚を持ちつつも、「星に願いを」のままだったり、アレンジや即興で引いてるようで、そうじゃなく聞こえたりする具合が非常に良かったです。すばらしい。
後日、ヤン富田について思ったのは、必ずしも彼が天才肌で何か一番の才能は無かったと思うものの、様々なエンジニアやスタジオミュージシャンの仕事で身につけた技術と、年代的に彼とは下の文化や人々に好感的に接してきたことが幸いしている。 彼のデビュー当初のキャリアはステールパン奏者として、クニ河内などで、想像つくところ石川晶(石川のおじさん)などのバックで出ていたそうです、年代的に細野晴臣よりやや下で,,,となると、一度ジャズやロックの黎明期を見つつ憧れつつも、変調子の音楽や、機材のテクノロジーの変化、ワールドミュージックなどの音楽作りの視線が移行するころで、そういう音楽に感心し、その音楽感を引きずるのが一般的なセンスだとは思う。しかし、ブレークビーツやヒップホップや歌謡曲なども柔軟に受け止め、自分の年代で教わったことを下の年代に教えるというところに、 ヤン富田という人の音楽の面白さや、人の良さのようなもの感じたのでした。
更に、今回、生ギターを手にして、メディムだとかテクノロジー(not テクニック)を感じさせる弾き方になると、ここで今一度読み返すと、こういう人には、変調子やワールドミュージック的な演奏方法や楽器自体が、あるメディムだとかテクノロジーのように扱われてたんだなと、感じるのでした。
最後に誘って頂いた、さかもとさんと、 ありがとうございました! とっても嬉しかった。本当僕なんかより、誘われるべき人も居たかと思うのだけど。
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