2005/04/03 (Sun)
漫画の舞台訪問。夕凪の街桜の国/こうの 史代 (著) 漫画がある方は手にとってみてください。 この漫画久々に僕の中で良い漫画だなと思える漫画なのですが。物語の第二舞台となる新井薬師のあたりを歩いた。 それで色々思うところ、この漫画は多分かなり厳密な時代考証がされていて素晴らしいと思えてきた。
主に歩いたのは 水の塔公園+野方配水塔 「かたやまはし」 哲学道公園内野球グラウンド 漫画を手に、新井薬師方面で野方配水塔が見える野球場は「哲学道公園内野球グラウンド」、また、歩道橋は「かたやまはし」でした。
ここで、一つ疑問が、この二つの場所、特徴的なディテールがあるものの実際に歩くと野方配水塔が見えません。特に「かたやまはし」に関しては、その構図が見える立ち位置に立つと。マンションなど建物の影になります。
それで改めて漫画を読み返しました「かたやまはし」が出てくるページは。 ■桜の国(一) P.31、P51 ■桜の国(二) P.88、P94-95 これをよく見て、気づいたのはP.88の「かたやまはし」だけ、形が違う、手すりの形が違うんです。
P94-95の「かたやまはし」が、多分1970年代頃の姿 P.31、P51の「かたやまはし」が、1987年代頃の姿 P.88の「かたやまはし」が、現在2004頃の姿 で途中「かたやまはし」に修復が入っていて、「かたやまはし」が見える風景は、遠くに野方配水塔が見えて印象的だけど、現在のコマP.88の橋の向こうには確かに野方配水塔が書かれていないし、今そのあたりから立ってみても野方配水塔は見えません。
あと、水の塔公園などで写真を漫画の構図に合わせて撮ると思いのほか良く書けているし、多分、「かたやまはし」から見える風景の変化や、橋のディテールの変化にしてもかなりの時代考証がされているようにおもい、驚いた。
「桜の国(一)」に出てくるところの野球場と野方配水塔の見える構図P.41の見える付近は多分このあたりのはずだけど、今現在、実際にそのように見えませんが、当時、80年代初頭頃?は、もしかしたら、そのように見えたのかもしれません。 脚色なのか?昔は見えたのかもしれません。
「桜の国(一)」「桜の国(二)」の話を見ていて、よくよく読んでいると背景にこの、野方配水塔と「かたやまはし」が、本当に良く出てくるし、気になってしょうがないのだけど、これは、言うまでもなく「夕凪の街」に出てくる原爆ドームを物語としてモデルとした野方配水塔、また同じように、広島の平和大橋(デザイン:イサムノグチ)と「かたやまはし」ということでしょうね。
なんで、地域も時代も違うところが微妙な接点で連結していくかと言えば、この漫画のテーマの一つ、原爆の後遺症を暗喩するということでしょうね。
この漫画は凄いと改めて思った。 参考に以下のサイトも少し感想が読めます。
漫棚通信ブログ版 「夕凪の街 桜の国」マンガでなければ表現できないもの ただのにっき/こうの史代『夕凪の街 桜の国』読書ノート こうの史代:夕凪の街 桜の国/野々村 禎彦 こうの史代ファンページ
水の塔公園の風景。
p52の風景。
水の塔公園にあった「憲法擁護・非核都市中野区条例」の石碑。中野区いや水の塔公園とその石碑の関係はよく分からないけど、あまりに漫画の内容と密接するもので驚きました。
p90の一コマと同じ立ち位置にて、ディテールが細かく写されているのがよくわかる。水の塔公園入り口付近。
「かたやまはし」の漫画で良く出てくる立ち位置。現在はこの場所から野方配水塔は、マンションなどの影になって見えません。
p51(1987年)とp88(2004年)の「かたやまはし」の様式の違い。手すりに注目。
「かたやまはし」 の上から野方配水塔を眺める風景。
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