aboutnewscalendarpublicationtextwikibbssearchmailTHE WIZARD OF SPEED AND TIMEmobile

yamauchinamu

news 2008/11/19 08:35:02

/ 2002 2003 2004 2005


2004/02/02 (Mon)

お風呂に入りながら考えたアートのこと
1.
元々絵画は、壁画や建築の装飾としてあって、不動産的な役割も多く、ルネサンスのころは画家という職業はなく大工の一つの技能だった。それからキャンバスの発明により動産となり作品そのものが資本と結びつきやすくなり、画家という職業も出来た。それからそれから、野外彫刻だとかインスタレーション(直訳は「展示するもの」のはず)が出きて、レリーフ状のものとか、空間演出などで、建築物とむすびつくようになる、そういうものと資本の結びつきって結局企業と作品の結びつきがパブリックアート式が落ちなのかしらん。
また絵画は抽象表現以降、肥大化傾向がでて、近代頃の、小振りなサイズの作品のスタンダードさって、どうなのかしらん。商業的な商品って話でもなく、コンセプト的に。

2.
あるコンテクストとコンテクストの合間をうめるコンテクストの発明とか、カルチュアル・スタンダード的に「これこれこういう年代の状況や立ち位置がこうだから、今ここではこうです」とかそういう検証や考察自体、ポストモダン的というか、いや昔「ポストモダン」とか何処かトキメキで話された時代より全然ポストモダンな世の中で、そういうこと言っても、どうよ?!って思ったりもー?比喩の比喩の比喩なんて、なんだかんだ言ってもその言語を共有する内でしか出来ないもんだし、そんな小賢しい状況詮索よりも、もっとストレートな認識論みたいの考えてたほうが全然良いよねとか。例えば、見えたものは、こう描きあらわされて、それがこう見えるとか、その見え方の違いを考えたりとか、考えたりしたほうが、あんなこと、そんなこと、やるより全然良いとか。何となくおもった、そういう世界にどっぷりだから。

キミにこの話、わかるか?僕には、わからないゾ!だけど、なーんか、そういうこと考える。



2004/02/01 (Sun)

ヨハネス・イッテン@東近美をみた
イッテンはバウハウスで色彩学を教えていたことで有名ですね。
バウハウスでは、美学的に構成主義など、一度、黄金比などなんらかの測りやメモリで、再構成された空間感や見え方で、ある抽象的な見え方を考える。また、一度、抽象化アイコン化されたイメージから具体的なイメージを読みとれるように考えたりとか、
イッテンの場合、網膜的な解像度とか色彩を、なんらかの見え方に置き換えたり変換してよみとる。たとえば「ポストは赤いモノ」という見え方を普通の見え方としたら「赤いモノはポスト」とか、いいたげ、赤いモノは林檎でも、肉でもいいけど、でもその赤いモノがポストとして見えるように示唆するような描き方をし、またポストが赤いモノとしてみえるようにも操作すると。。。わかるかな?
あと教育者の側面が多く、アーティストの評価は微妙に低そうですが、面白い作品は凄く面白かった。あんまり大きな作品ではないけどヨハネス・イッテン《風景の色彩》 1946年個人蔵って作品が、たとえばスーラのような網膜的な見え方の中に異なる解像度の色面で構成されてるってこれって、アレだよな、今のアダルトビデオとかに入るモザイクのようなモノだよね。面白い。
あと展示で笑ったのは、自由学園(設計:フランク・ロイド・ライト)のアートコースの卒業生が、バウハウスのイッテンの授業を受けに行った留学生が2人ほどいたようで、帰国直後の彼女達の写真が「和製シャルロットのり」っていうの?「乙女」っていうの?そういう写真になってて笑った。彼女たちはその後、イッテン・シューレの授業方法を導入して、自由学園で教えていたそうな。なんか薄々感じていたんですが「乙女」ってスタンスはアートに関心はあったとしても、アーティストには成らず、教育者にはなれるような気がします。良くも悪くも。「ガーリー」だったら未だ、歌手とかアーティストとかやりそう、だってオノ・ヨーコとか草間弥生とか、さー(以下略)

ダン・グレアム展@千葉県美をみた。
最終日というだけでなくて、変に知人率が高いのは何故?講演会のせい?講演会は聞き逃しましたが。
ダングレアムの説明はめんどくさいので無し。簡単に書くと90年代の作品や展覧会でよくあった、コンテクスト系の作者の展覧会。コンテクスト系ってあれだよ、見え方とかあり方とかテーマを優先順位にもってきて時系列とか地域性を抜いたりするような。
そういうスタンスで特に彫刻と建築の間の作業が特に多いアーティストの小さな回顧展。70年代に先駆的にそういう人居ましたよって。その他編集業的なスタンスや、「先生」的なスタンスがあり(キムゴードンやマイクケリーとか授業を聞いてたみたい)で、野々村文宏さんとか過剰に反応気味と。
つか僕も大学の時、野々村さんの授業で詳しくダン・グレアムについて知ったけど。
でー、なんだパピリオンの作品とか、嗚呼見たとか今の僕には思う程度で、いや見ないよりは見た方がいいけど、結構展覧会に出向くより、映像媒体の記録媒体や出版物で見ていれば済むような話の展示も多いので、カタログ買ったしあとで読めば済むかも??
結構年間単位で楽しみにしていた展示の一つだけど、アレだなぁと思うこともある、いやさダン・グレアムがと言う問題でないけど、コンテクスト系のアートって結構今飽食気味かなと、いやさ、流石に高校生のころそういう展覧会とか作品とか見てトキメいたりしたけど、今はそういう企画や作品についてマジマジと見入ることがないので少々退屈。森ビル「ハピネス展」にも言えますが、
でも、どうなんでしょう?一般にちゃんとそういう作品や展示が国内でも見られるようになったとかで、そういう文化が一般的になったととってていいんでしょうかね?

あと千葉に久々に行ったけど、前回と同じように街の印象は一言でいうと「シャばいな」と思う。立川も酷いけど、もっと凄いというか?

ヘンリーダーガーの叙事詩をアニメ化
wired.com/Documentaries Draw on Animation

Mammo_tv 高校生必須課目
大人が子供に、「若いウチに見ておけば」って本とか音楽を紹介するページ。
見て思ったのは、こういうガイド作りたい大人の気持ちはまぁわかる。
こういうのを分かって見たり聞いたりしてる高校生は多分こんなページ見ない。
また、それを書き手の側で読ませたい高校生はこんなページ見ない。
誰に読ませたいの読むべき記事なのかと?一瞬おもうけど多分
「ああー高校生の頃読んでおけばな」って思う人が一番反応するガイドのように思います。つまり俺向き。

getwild★ホシヒコ:ゲットワイルド・プロジェクション [フライヤー完成]
そうそう、クラブイベントをやるだけなのにアー写を撮ろうってことになって、常盤響さんに撮って頂いたんですよね。常盤響さんに撮って頂いた写真は他にもあってそのうち見られると思います。たぶん。

最近、歌舞伎町のゴールデン街のお店に何度か足を運んだんですが、なんか若い人のお店が増えてるみたいですね。
クレマスターって名前でマシューバーニーファン?のお店とか
ソワレさんのお店が出来ていたりとか
あと渋谷のションベン横町のNONとか
他に渋谷の思い出横町のあたりにもそういう店が出来てるとか
なんか、ベルリンのミッテみたいだなぁ、と思った。そういう人がそういう場所でなんかやるの?

みかんの英語よみは
オレンジなのか?
オレンヂなのか?
google件数は「オレンヂ」が若干多いですね。



2004/01/30 (Fri)

アコさんの記事を読んでいたら、
「キースヘリングを初めてみたとき「あ、桜木町の絵」って思った記憶がする。誰かがパクって描いてたんだでしょうね。あの壁のグラフィティを見て、初めて美術の教科書以外のアートを意識したような気がする。」
むー。確かに、そういう教科書以外のアートを意識して、アートに関心を持つということありますね。今だから正直に言えば、僕でいうとこの、小学生の頃のジャスパー・ジョーンズとか、中学生の頃のキース・へリングとか、高校生のころの中原浩大のレゴとか、そう思ったかもー。今になって思うのは、教科書的なモノを犬猿して反教科書的なものにハマルということは、審美眼でも技法でも、結構、10代ぐらいでとっとと終わらせたいし、20代過ぎてそういうのもイタしと思うしな。
そんなことに関心あったとしても、当時美術館に行ってみっちり見てたのは、富山近代美術館や、原美術館、ブリジストン美術館、東京国立近代美術館の常設だしな、(なんか美術館の価格もちゃんと払うんですが、東近美の入館料は200円ぐらいの印象が今でもある。高校生の常設観覧価格。コストパフォーマンス安い)
ジャスパー・ジョーンズにしても、もう当時もしかしたら教科書に出てたかもしれないし、キース・へリングは今思うとマルコム・マクラーレーンとかヒップホップの思い入れからオマケで好きで、そんな作品自体が好きとかそういう話でもないなと、中原浩大のレゴ今思うと当時は無知だった。
そんなことを思ったりした。

なんでも聞く話、アールヴィヴァンなどのヒロヤマガタとかラッセンとかの、CMYKの普通の印刷よりも部数が多くない、リトグラフの複製画ってものは、そのての業者で不良債権のごとく在庫処理に困っているらしい、価格的にも高額で、もともとハッキリとした定価を決めたため、バブル期当時は売りやすかったが、その制度がネックで値引き出来ないらしい。例えば定価が決まっていても値引き出来るモノは家電、輸入盤CDなどあっても、例えば国内書籍のように値引きしないものもあるらしい(しかし何らかの値引き方法は本にもあるはず、確か?)
で、そういう作品は既に買いたい人は殆ど買っていて、買い方をコレクターでそれを購入したひとが、そこから興味がなくなったり、更に作品の見え方と買い方を工夫することになってるのが現状のような、去年訪れた大阪のコレクターさんもそういう方だったと思います。
ああゆうリトグラフ版画の作品ってどうなっていくでしょうね。なんでも日本国内しか市場がない世界で、輸出も難しいらしい。ああゆう世界はああゆう世界で、元々「売れる」大将生産大量消費が前提でできた商品なのでインフレ起こすのも予定調和のはず、ならそれはそれで、価格帯が今までより多少低くて、少部数で、少々高額な?要は現在の作家でデュシャンのマルチプルのようなものを新商品にして、売れ残り品を価格下げて売り払って、会社を転がしていけば、もともとのそういう会社の企業理念としてはやっていける。気がする。勿論、そういう会社が素晴らしいとは思わないけど、これ以上、アート系な会社がどんどん潰れていくのも如何なモノかと、何処かで考えるのです。
そういえば、安藤広重の3代目って茶箱広重とか言われて、浮世絵が海外に輸出されるワレモノを包む包装紙になって、輸出され、海外で印象派とか産む切っ掛けになったし、腐ってもアートだし、そういうリトグラフの版画もそういう扱いになっても良いのかもなぁ?良いのか?

あと僕は、プッチンプリンが好きなのですが、あの本当の卵とかのプリンにない、食感とケミカルな感じが、本当のプリンより好きだったりします。その上安いと、美味しいモノは必ずしも高額になるというわけでもないし、アートとかでも、必ずしも話題の作品や高額なモノが良いというわけでも、ありませんなー。とか思ったりした。




a-News+ 1.54
www.flickr.com
This is a Flickr badge showing photos in a set called painting. Make your own badge here.
はてなアンテナの登録




jp

<  2004/02  >
Sun MonTueWedThuFri Sat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
29      

</war> Mr.omolo

   
   
   
   
Up, Up and Away