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yamauchinamu

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僕が美術について今思うこと 2/2003

Last Update : 2003/02/27

 僕が美術に関心をもったのは中学生の頃、例えばジャスパー・ジョーンズやロバート・ラウシェンバーグ、アンディー・ウオーホルに、ウィリアム・デクーニングなど、主にアメリカで50年代から60年代に活躍した人の関心が強く、それから遡る又は歴史をより現在に下るように拡大させ関心を広げていきました。正直に今になって言ってしまえば僕が2000年に初めてやった個展は、それまで僕が参照した作品や文脈を消化し、その時現在のありかたを考えながら纏めて展示したものだったと思います。

 では今はどう思うか?何がしたいか?考えたときに、作品を見るとき作るとき、(大きな世界史であれ、個人の経験の積み重ねであれ)やっぱり歴史性は大事だと思うし、また過去を検討する必要もある。歴史はある「正しさ」というか面白さをもつものもあるし、間違いも犯すし、ゆがみも持っている。勿論それは大きな歴史のことを言わなくても僕個人であれそのようなことは勿論犯す。そこで検討し読み解き直す重要さについて感じます。


 20世紀美術史は大枠王道として、色や形、形式や場所などそのモノを問う問題性が大きく問われました。また例えばその意図に反するように、例えば隠微なものいかがわしさが排除される歴史でもあったように思います。
例えばエロを扱った作品を思い出しても、セザンヌの若い頃の秀作、シュールレアリズムに没頭した初期のジャコメッティ、バルチェスの油絵、エヴァ・ヘスの彫刻、デビッドリンチの写真など、どうしてもメインとはいえないサブの文脈になりやすい。しかしエロな出来事など日常的ではないとしても、人間にはだれにでも接する世界です。

 また僕が昔幼い頃は、子供が見てはいけなく感じる隠微な世界がなんとなくありました。当時そこで何があって何が起こってるのは想像ついてもなんとなく想像できる触れてはいけない世界があったと思います。それはエロに限らず怪しい世界全般にあったと思います。
 今はそのような世界は失われました。目にするモノが殆ど明るい世界になりました。ヤクザは町から消えたかもしれないけれど、そう言う人は名義を換えて普通にいる、そういう外人も増えた、ちょっとしたエロいことやグロいことも割と簡単にネットで見つかってしまう。イケナイとこだと思っても珍しいものでもないと思うようにはなりました。
 しかしもう一度あのいかがわしく嫌らしく隠微な世界にノルタルジーやセンチメントはあるしもう一度あのようなことが体験できる世界に居たいと妄想することがあるのです。


 それとは別にある基準や精度を調べたり測るということを考えます。例えばコンピューターの精度が上がる検証としてチェスの対戦をさせたり、円周率の精度を測ったりします。また定規長さを測るとき細かい話をいえば計器が狂ってるときもあります。
 それは理念的に見えてる物事と実際に計ったときの違いに理想や目標とするものと現実あるものとの食い違いを書くことです。確かカントは目の前にリンゴがあったとしても見ている人は実際のリンゴを認識することは出来ない、だけれどリンゴは目の前にある、ってことをいってたんじゃなかったっけ?だいたいそういうことです。認識はしてても捕らえるとこは出来ないことをどうのように受け止め表象するかということに興味があるのです。
 たとえばフリーハンドで綺麗な円を書くとします。概念的にそれが見えていてもどうしても歪んだ形になるでしょう。コンパスをつかっても常に一定の太さで斑のないものを書こうとしても、いくら良い道具と素材を選んだところで厳密には実現不可能なことでしょう。またアドビのイラストレーターをつかってべジュ曲線で引いてもそれは概念的だし、現実にプリントアウトしても出来ないでしょう。しかし描く人はそれでも円を見ますし描きます。その時ある理念的なものと現実的なものの違いについて考えたいと思っています。


 僕は今そのようなことに関心を持っています、そのようないかがわしさが見えることと、精度の検証をすることを考えながら、過去の歴史を見つつ、今あるべき作品を作りたいと考えています。

  
Up, Up and Away