2008/08/06 (Wed)
岸田劉生について調べていて、デューラーの影響と顔輝とか中国美術の影響を折衷させたとか、そういう話はなんとなく容易に手に入る本を見ればわかる。 ちょっと時代を遡って、秋田蘭画とか司馬江漢とか伊藤若冲とかその辺でも、版画などで、西洋美術と西洋化した何か中国美術の書物や版画を見ていたみたいな話を聞く。その西洋式の中国美術ってのは、最近自分で調べたところ南蘋派と言われる清時代の沈南蘋って画家から伝わった技法があって、、、と聞くものの沈南蘋(Shen Ch'u"an, shen quan, 沈銓, 沈铨 1682-1760)や南蘋派についての資料が思ったより少ないのでヤキモキしていたのが正直なところで、
中国美術というと正直なかなか最近の中国の現代美術などイマイチ、ピンと来ないことが多いし、伝統的な中国美術史も情報の膨大さと美術史学者の密教性みたいものがあって、どこから見て良いのか?ってのが狭くて高い敷居のようにも感じていたんですが、昨日たまたま検索していてイエズス会のジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione、郎世寧 Láng Shìníng 1688 - 1766)って画家が清の王朝に入って暮らしていたと知り、去年の暮れ頃、国立故宮博物院でジュゼッペ・カスティリオーネを中心とした展覧会をやっていたらしい。それでホームページがあって出品作品を見ていてジュゼッペ・カスティリオーネの作品を数枚見ていてちょっと感動した。
「百駿図」って絵も図像的に優れてよく見えるのだけど、「画瑪瑺斫陣図」(1759)という絵が美術史的に地域が繋がるように見えてビックリした。これは見れば直ぐわかるけどジェリコーの「エプソンの競馬」(1821)と同じ走る馬の足の形をしていた。ジェリコーの「エプソンの競馬」は通史的には写真技術が登場する前の時代に四本の足の動物がどうやって足を動かして走っているか?わからずに描いた馬の絵で、同じようにジュゼッペ・カスティリオーネも描いている。なかなか、ジェリコーのような露骨な走る馬の絵ってありそうでないので、なんだかビックリしてしまった。また国立故宮博物院の展覧会は司馬江漢も出ていて文脈が見えやすい。多分ジェリコーもそうだったと思うんですが、走る馬の姿がアレでも、歩く馬の姿は未だ自然に捉えていたんじゃないか?と思っていて、ジュゼッペ・カスティリオーネが描いた「儀礼用甲冑を着けた乾隆帝」の絵を見ると、なんか確信することもあった。 ジュゼッペ・カスティリオーネの生没を追っても沈南蘋とほぼ同時期で、ジュゼッペ・カスティリオーネが王朝に関わる人だったようで、彼の作品を沈南蘋が見ていた可能性は相当高い、いやほぼ確実に見ていたと思う。
推測で清かそれ以前の時代に大陸を渡って西洋的な技法を伝えた人がいるぞいるぞと想像付いても、人物像が漠然としていたので、ド・ストライクな人物が判ってとても嬉しい。中国ってあんまり興味がわかなかったけど(いや、接点を何処にみつけてよくわからない)、アジアの文化全般捉える必要も少し感じていて、こういう人が判ったのが凄く嬉しい。
それにしてもジュゼッペ・カスティリオーネがイエスズ会の人というのも凄く納得、日本でも言えるけど、キリスト教の布教のために外人が来日した時、会った人たちはキリスト教に興味が無くても、美術に限らず、教養や軍事とかの技術を知りたくてキリスト教に入信した人も少なくなかったはず、そういうことを思うとイエスズ会のマトリックスは凄い文化だったんだなぁと思う。
更に、僕も不勉強で中野 美代子というジュゼッペ・カスティリオーネの研究家を知った。Giuseppe Castiglione関連の本も出ているようですが「綺想迷画大全」という本も出ているようで大変興味深い。
アマゾンのなか身検索を見よ!もくじにある「ギャロップする馬たち」の項目は、上でジュゼッペ・カスティリオーネとジェリコーの馬についての指摘に何か付け加えられたものにほぼ間違いないだろう。挿し絵に入れられた絵も相当面白そう。
「綺想」というと辻惟雄の「奇想の系譜」が日本美術のカウンター、アウトサイダーみたいな紹介が有名なものの、僕自身の日本美術史が危ういので良くわからないこと多く、辻惟雄のの本を見ると直感的におもうのはそういう技法は日本だけの技法でない、アジア全般の何かと関係或るってのは直ぐ想像付くモノの何だかよくわからなくて、そのようなよくわからないことのガイドになってるぽい。中野 美代子という人興味深い
辻惟雄-中野美代子-澁澤龍彦 ラインが見やすくなると思います(そうぞう)。
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