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    「この布地は、この布地ではありません。」中村 麗(2000)

     <反復>は哲学的な命題である。<反復>に思想的意味を見い出した哲学者としては、キルケゴール、フッサール、ヘイデガー、デリダ等がいることが知られている。さらにドウルーズは著作『差異と反復』において、<差異>と<反復>の一体性を説き、独自の思想を確立した。ところで、山内崇嗣の作品のタイトルは、ほとんどのものがこの反復法でなりたっているところに目を引かれる。たとえば表紙の作品のタイトルは「この緑土色のアロハの花は、この緑土色のアロハの花である。」である。なおこうしてこのタイトルをコンピュータ上の画面に打ち込む時、はじめに書いたフレーズをそっくりそのまま<カット>&<ペースト>すると、より<反復>されていることが意識されるところが、当たり前のことでありながら、現代社会の容易な<反復>の状況を象徴しているようでおもしろい。

     はじめにタイトルの話になってしまったが、実はこのタイトルのあらわしているところの作品自体も一見すると<反復>なのである。既製の木綿やビニールの布地をパネルに貼り、その上にクレヨンや絵具、樹脂で描いていくのだが、描かれているものは、まさに貼られた布地の模様なのである。多くは地となっている模様をその上で拡大しつつ、四隅まで<反復>している。中でもそれが一番顕著にあらわれているのは、いわゆるタータンチェックの布地を使った作品である。作品を写真で見ると、はじめの瞬間は布地になにも手を加えることなく、そのまま提示しているかのように思われるが、凝視してみると、どこかにある違和感を覚えることになる。布目というかチェックの模様が通常の既製の布地であったなら、幾何学的に等間隔に整然と配列されているはずであるのに、どのように見ても格子が、特に矩形の隅にいくほど、不器用なまでに歪んでいくのである。実際に作品と向かい合うとそうした違和感はより決定的なものになる。布地の上には明らかにクレヨンや絵具による筆触の跡が目立ち、手技の介入がはっきりと見てとれることになる。そのことは前述したように、作品タイトルの<反復>をコンピュータ上で<カット>&<ペースト>するのとは、反復法が根本的にまったく異なっていることは明確であり、さらにいえば一連の作品は、そのタイトルのようには<反復>されていない、厳密にいえばこれは<反復>とは呼べない、もしくは<反復>が<破綻>をきたしている姿なのかもしれない。しかし作家はこのような<破綻>をあえておこなっているところが興味をひく。もしも厳密な<反復>を目的としているのなら、格子柄の上に、拡大した格子柄を隅から隅までフリーハンドで描いていくのではなく、コンピュータで描くなど、他の方法はいくらでもあるのだから。

     表紙の作品は、緑土色の地に植物模様が白色でプリントされている布地に、白いクレヨンで同じ植物模様が拡大されて描かれているものである。この作品においても白いクレヨンの下に地模様が見え隠れしていることで、図版の<拡大>と<反復>という単純な図式よりもその背後に潜むそのような図式の<破綻>をむしろ強く意識させられることになる。つまり「この緑土色のアロハの花は、この緑土色のアロハの花ではない。」のであり、この破綻こそが作品を強固に支えるものとなっているように思われるのである。


    JAMA<日本語版> P.52
    The Cover「この布地は、この布地ではありません。」中村 麗
    共同編集毎日新聞社・日本医師会
    (AUGUST/2000)