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    「山内崇嗣の絵画作品を巡るメモ書き」布施知範(1998)

     山内崇嗣のタブローは、様々なプリントが施された、カーテンや、服や、テーブルクロスに使われる柄物の布で作られたキャンバスを支持体とする。そのうえに彼自身によって描かれた模様は、よく見ると、このキャンバスに使われている布の柄を拡大したものであることがわかる。

     今世紀の美術は、いかにかたち(像または図)を扱うかという問題を追及するのに多くの時間をかけた。そしてかたちを発生させるプログラムの走らせ方を競いあってきた。しかしその問題は、支持体の扱い方という別の課題を内包し続けてきたのである。グリーンバーグは、絵画におけるその平面性への還元の過程で、のちにドナルド・ジャッドによって露呈された、支持体としてのキャンバスそれ自身の形態の、絵画への絶対的支配を、「鋲打ちされたキャンバス自体はすでに絵画として存在する」という言葉で予言している。

     グリーンバーグはそもそも、絵画における再現的なイリュージョンを否定しているのであって、視覚的イリュージョンが存在することを否定はしていない。逆に彼は、絵画にそれを求めるのである。しかしながら、再現的ではない、純粋に視覚的なイリュージョンの発生には、その絵画において描かれたかたちが、支持体の表面より上に存在していることが明確である方が有利である。それには、かたちを発生させるプログラムを支持体の形態を起点としないで発動させる必要があった。絵画においてそれを成し遂げたのは、ポロックやステラといった若干の画家たちであった。ほとんどの絵画においては、ジャッドの指摘するとおり、描かれたかたちは支持体の表面より奥にあり、そしてそれは再現的なイリュージョンを喚起する。

     山内の問題意識は、明らかにこのようなところにあると思われる。しかしながら、75年生まれのこの画家に残されている方法はあるのか。彼のとった方法は、なかなかシンプルかつユニークなものである。

    1. 支持体としてのキャンバスに、制度的な揺らぎ、もしくはノイズを与える-つまり柄物の布でキャンバスを張る。(山内の作品において支持体は、そのキャンバスをはじめとして、レディメイドのオブジェであるともいえる。レディメイドはそれだけで、制度に対するノイズである。)

    2. その柄の入ったオリジナルのキャンバスを起点に、プログラムを発動させる。

    3. キャンバスの柄のかたちは、疑似トートロジーともいうべきそのシンプルなプログラムによって、キャンバスの上に再現され描かれる。(これは、「支持体の形態を起点とした形態はそもそもトートロジカルであるわけだから」、というシニカルなスタンスのプログラムである。)

    その柄の入ったオリジナルのキャンバスを起点に、プログラムを発動させる。

    参照
    Donald Judd,"Specific Objects"1965
    Crement Greenberg,"Modernist painting"1960
    Crement Greenberg,"After Abstract Expressionism"1962