あるかたに
「馬鹿は死んでも直らない」
「馬鹿は(風邪のように)うつる」
と言われた。一瞬その言葉に納得した。そこで、馬鹿は(風邪のように)うつるとするなら、賢さも風邪のようにうつすことがあるのか?と言われたことの逆のことを質問した。それは即答できないと言われた。
「馬鹿は死んでも直らない」を考えつつ、何かのことわざのことを考えた、「馬鹿と天才紙一重」「馬鹿とハサミは使いよう」、なんかスゲー、ポジティブ、馬鹿をある見下げたものとして見るならアレだが、一特殊な専門的な能力としてあるならことは生かさない手はないと思う。
「馬鹿は(風邪のように)うつる」の逆も又、真となるか?結論として、なると思う。誰でも信じる世界で先生に当たる人を見つけて指導を受ければ、誰でも成長は早いっていいますね、問題なのは、その「先生」の話が信じられるか?で学習することにかかるのですが。
また別の話、世の中いる人皆先生で、誰からも学ぶことはあるって話はある、しかしあらゆる人の話は聞きすぎると何処かで其々の理論は矛盾して相対化して、何かなんだかわからなくなるはず。でも、なるべく色んな人の参考になるお話は耳を傾けたいものです。
などと考えていたら、馬鹿というものは奥深いと思いました。また馬鹿といわずネガティブな意味で程度の低い凡庸さとは、何者も信じられず迷ってばかりいて何も出来ないことではないかと思った。
僕は十分迷っているぞ!信じるもの皆救われる。