僕の行っていた高校は人に言わすと
>金沢で一番おしゃれな高校
>トレンディドラマに出てくるような高校
とは言われましたが、
僕が思うに、偏差値も中間、郊外にある学校で環境的に何も無く、建物の周りは林檎園と竹の子の森と隣接する真如苑だけ、中学の時ヤンキーになりたかったけどなれなかった人、優等生になりたかったけどなれなかった人が、ちょっとその高校に入って気分を良くする。普通、極普通、可も無く不可もない退屈な高校だったと思います。
そんな特徴は、その高校のページの「こぼれ話」を読んでいて、
>東大理科V類に合格した生徒もいた
>現在タレントとして活躍する生徒もいた
とか一々書いてあるだけでも、ボンクラな感じがします。
僕は都市部の下町育ちで、中学は、まぁ金沢の中心部で一番定員が多いところに通ってたので、中学の時の人のマセ具合とバラエティさが楽しかったのですが、進学して何かその高校の稚拙さには驚きを隠せませんでした。
高校進学の理由は、それなりに手を動かすことが好きだったので、その高校には県内唯一「芸術コース」と呼ばれる美術系クラスがあったので、進学しました。クラスは特殊で3年間、男子:女子=4:36のままクラス変えもなかったので、他のクラスでは色目でみられるわ、クラスでは男子の意見があまり取り入れられないわ、で窮屈なものでした。なかでも面白い奴はいたけどね。
僕の高校ことって、憶えてる範囲で昼寝と、月曜から日曜まで!学校が閉まる時間まで木炭デッサンか油絵をやってた憶えしかないのも悲しい。
一応無理矢理高校生活を楽しもうと、写真部(現像の仕組みを知りたかったから、ちなみにnamuのプロフィールなどで使ってる写真は卒業アルバムの写真部のコーナーから、おたくにコスプレして喜ぶって、シンディシャーマンみたいことがしたかったのかも知れん。あの写真の質は兎も角笑えるので気に入ってます。)、映画研究部(この部活に入ると映画の割引証がもらえる)、放送部(ちょっとした自意識で色々好きな音楽を構内放送でかけて楽しむ。しかし校内での多数派はBOΦWYやドリカムなので、DEEE-LITEやピチカートVとかかけたところで殆ど相手にされない。)、と色々部活に手を出しましたが、捻くれて美術部には絶対入らない。そんな感じで部活動も楽しんだものです。
今思うと、立場が違って普通科に入って、すぐ帰ったり、意味無く放課後学校で時間潰してたら面白い出来事もあったのだろうなと思います。ちょっと女の子とバスに乗って帰って途中繁華街をふら付いたりとか、学校の周りの茂みでいちゃついたりとか....。当時僕自身高校の中では冴えない生徒のように暮らしていたつもりだし、事実そうだったと思いますが、後々になって「当時山内くんのこと憧れてたんですよ」とか「あの頃好きだったんですよ」ってことを、聞いたりして、おいおいその時に言ってくれよ!とか「当時」や「あの頃」って何だよ!って思ったりもします(笑)。僕自身そうゆうことに鈍感でガサツな、ほうなのですけど(爆)。
P.S.
学生歌「大きな明日へ」(作詞 五木 寛之 作曲 山崎 ハコ)
嘉門洋子って高校同じなのか?
制服入手難易度は、わりと低い。
図書室に何故か?植草甚一/JJの本がパーフェクトに揃ってたのは凄い。誰のセレクション?