最近気がつくことがある。アートな作品が認められたときアーティストは存在するんで、アーティストがアートを作るとは限らないことを。なんだろ初めからアーティストって人がいたとして、彼が作るものはなんでもアートになるか?といえばそうでない。また作者自身自分のやった物事が何にカテゴライズするかってことは結局できない(もちろん、あー見られたいとか願望はあるだろうけど理想と現実で上手く合うかは本人次第とも言い切れない)。
今年になってニュース式なウェブになりましたが、勿論これがアートだとかなんとか僕自身毛頭ないし、娘。関係は好きだけど、それとアートな関係もそんなに考えてない。僕が昔も今も何がしたくて何をしてるか?と言われれば、ちょっと素敵なことや馬鹿げたことをやったりみたりしてみたいと思うことだったと思うし多分今やってることもそんなことなのだろう。そのうちの何かがやれアートだ!とかテキスト系馴れ合いサイトだ!とか、言われようと基本的な欲望はそれだし、どう思うか見た人の判断に任せたい。
ウェブに関して最近思ったのは、例えばべラスケスのラスメニーナスだとか、シェイクスピアのハムレットとかのような、画中画や、劇中劇など枠組みの中に枠組みが出来ていて微妙に歪んだ形である、ラスメニーナスで言うとあの絵は誰の視線なのか?とかです。フレームの中でフレームを組んだとこでそれが只のディテールに終わるのでなくて、あくまでフレームが歪みあう関係ってなにかな?と考えるし、そのような形づくりや構成で、WEBをつくったりできないかなと考えます。今はサイトで付けて行ってるのは今まで個人的にブックマークしてたことを見える形でやってます。サイト見てる自分がサイト編集してるって、サイトの中のサイトってことですか。
子ニュースサイトがニュースサイトを、孫サイトが子サイトを張り合うような形ずくりで「フレームの中でフレーム」って形式は出来るのですがさらに歪んだ形で、できてゆくことってどんなことかなって?例えば2ちゃんの中で、2ちゃんスレ研究するとか?うーん。
あとニュースサイトの形式で
mixs.com
ってサイトがありますが、ここは確か個人で「裏ニュース」ってサイトをやってた人が会社でやったサイトでなかったっけ?こうゆうニュースサイトのビジネスモデルやメセナのモデルって結構ありだとおもうんですね、会社の商品と絡んでるんだか絡んでないんだかわからない情報いろいろ見ていくうちに、その会社の興味をもつ人は持つって作りは良いと思います。
あと、アートな言葉でアーティスト・イン・レジデンスって言葉があります。やり方は企画のところで様々ですが、要はアーティストが何処か滞在させて現地で製作したりすることです。その運営側もそのアーティストが何をそこでするか分からず呼んで(勿論過去の作品で検討はするとは思います。)、第一に現地でなにか面白いことをして現地でウケること、第二にそれがアートとしての正当性をもてるか否か(行く人はアーティストとしていくからね)ってことが狙いで行われる活動があります。
それアーティストだったら何からするかと言われれば現地調査からはじまります、まず衣食住あうとこを探す、現地についてしる、それから何を何処でするか考えるのです。地に足が其処につかないと出来ないことでしょう。しかしそれをすると只与えられたものを使うだけでない自由度とか、お互い学ぶことも多いし面白いのです。
ニュースサイトの形式で初めてみると何かそれに近いものを感じるのです。僕もはじめはそれらしきサイト好んで見てるだけだったんですが、いざやりだすと、僕のとこで紹介したことがまた何処かで紹介されてってことがあって、サイト同士繋がっていくかんじが気持ちいいとか面白いなって思うんですね(人同士はそんなないけど)。多分今のウェブサイトの存在意義は企業サイトが偉いとか、アクセス数でなくて、どんな風にリンクがかかるか否かで無いかと思います。そこから次の事柄次のレベルに発展することもない訳でもないと思いますね。
そんなこと「ちゆデー」とか「C堂デー」とか見て思った。 (2002/02/18)