灰塚で御会いした伊部年彦さんは、びっくりした作品は今ないのですが恐ろしい生産性と形式が違うものが同じ作者に見える作品群。本当にどんどん作品ができる、しかも面白い。僕は今まで伊部さんを聞いたことはあったけど作品は色々見るのは初めて、やはり経験なのか能力なのかといっても7才も上の大先輩なのだ。本当に聞いたこともない面白い人はギャラリーやマスコミ媒体から離れているものだ。
以前「I love ぺッカー」を見たことも踏まえつつ、伊藤忠と灰塚を終えて、すったもんだあって色々考えている。
クレメントグリンバーグは、確か
「優れた美術作品はNYCを経由する」
と言っていた。
確かに作品の経済的な価値が釣り上げられたり、釣り下げられたり、するのは大都市ならではのことに思う。しかし市場価値がある作品イコール良い作品ではないし話題性だけで市場価値がある作品も少なくない。また面白いことが起きる所と面白いことが見られるところは必ずしも一致しないってことにハッキリ僕のなかで気付いた。
なんてことを金沢のアカケン(赤田賢治)に話したところ、流石アカケン為になることを言っていた。僕の考えることに続けて、一番面白いことがおきやすいところは普段形式的で面白くない結婚式や御葬式などでアクシデントで起きることが極めて面白いと言っていた。(例えば御葬式でオナラとか)しかしそれを人に見せるところにどうやって持ってくるかが一番の力を入れるところで、御葬式の会場をテレビスタジオに再現してオナラしたところでなにも面白くはないし、面白いことを見せることにおいて改めて会場を移さなくとも観客を移すことも一つの手だったりする。
さらにその話を灰塚の布施くんに話したところ、建築の展覧会は頻繁にその問題が起きやすいと言っていた。勿論建築の展覧会は建築物自体を美術館や画廊に持ってこれる訳もなく、その建築物の模型や写真や図面のプレゼンなんだから。
今僕にはこの問の答えは出ない。しかし僕のやった面白いことができる場所とは、具体的には家と僕の周辺にいるクリエーティブ人たちとの交流あっての環境に思う。それは不動のものとしておいて(それは無理に移動しないほうが良い、無理に動かすとつまらないことになるんだし)何処で如何に活動していいのやら?しっかし、「面白いこと」を人に見せることこそ重要なのであえて予め設定された劇場や舞台や展示会場に設定しなくともいいわけだし、自分で会場作っても良い訳だし、「面白いこと」が起きた所に直接人呼ぶことも一つの方法なんだよな? (2000/09/21)