先日友人がノイエザッハリヒカイトの再来した表現のクラフトワークが当時、競作を作る理由でマイケル・ジャクソンにあった時の話を教えてくれた。その時クラフトワークが、マイケルの影武者やライフスタイル諸々をみて、マイケルがラフトワークより、クラフトワーク的。ノイエザッハリヒカイトよりノイエザッハリヒカイト的に見えて落胆して帰ったらしい。確かにキャラ的にも、マイケルは即物主義的ですし、マイケルだけとはいえませんが優れた産業ロックは即物主義的ですな。
無理やり、マイケル・ジャクソンとノイエザッハリヒカイトの繋がりを思ったら、ナチスの演説やドキュメントの演出と、マイケルのライブビデオも繋がるかも?更に強引に考えると、浜崎あゆみの演出も、ノイエザッハリヒカイトになりますね。強引。
その競演は結局のとこは不発に終わったようですが、出来てたらどうなってたんだろ?アフリカバンバーダの「プラネットロック」より絶対いいと思う。
僕は全然、クラフトワークよりマイケル・ジャクソンの方が全然好きです。(2001/07/15)