あと今さら僕が言うまでもないと思いますが、ピチカートVは僕の好きなメロディの琴線に触れると思います。好きなアルバムで言うと「CUPLES」「月面軟着陸」「フリーソウル2001」あたりでしょうか?でも各々の時代、小西康晴は参加してたけど別々のグループですよね?メンバーだけでなくて曲の作りとかも。
嫌いな音楽って何さって言う基準って、メロディが嫌いとか、コンセプトが嫌いとか、顔が嫌いとか色々ありますが、野宮真貴が入って急にコンセプトとその向い方が悪くなったんじゃないか?と思います。それで僕はそのピチカートVとから離れて行くんですが...。こう見せびらかしで終わって、しまいには見せる前のオチまでわかってやっちゃって、見えてしまったら何も残らなくてって感じが非情に退屈です。「さ・え・ら ジャポン」にて君が代のカバーってセンスもアーティストの森村泰昌とあんまかわんないレベルのセンスの無さですね。でもまだ小西が未だ森村より良いところは基本的なセンスの良さと今のとこのネタを使いきって、これから作っていくぞと感じるところ。皆わかってるくせに未だネタの出し惜しみしてる森村はどうしようもないよな?どうでもいいけど。
少々飛びますがピチカートVや、シュールレアリズム、又は新古典主義なものなど、自分の好きな興味の物を書き集めてきて引用やサンプリングで再構成してものを作るって事は決して的外れだとは思いませんが、ネタ切れがその作品の終わりである事は的外れだと思います。
自分の押し入れや戸棚は自分の所有物ではあるのだけど、何かあるか分らなくて、でも整理するのは面倒な所、どうしても手を伸ばしたくても延ばせない場所ってありますよね。あと捨てるに捨てられないものとか?引用やサンプリングの創作でも多分そんなところがあって自分の持ちネタなんだけどう処理して良いか分らないけどあるもの、と言いますかそんなもの?何か?をどうやってコントロールして(コントロールできないんだけど)使うかが、引用やサンプリングで再構成することの一番の面白みですね。(2001/05/07)