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yamauchinamu

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リバースエュジとさくらの唄

Last Update : 2003/02/03

僕の美大の同級生で大學勤務の友人がこんなことを言っていた。
「一見、美大とかカルチャーっぽい世界に居ると岡崎京子の「リバースエッジ」とか十代の悶々とした心情にあてはめて肯定しないといけないんじゃないか?って思いがちだが、その心情はよくわからなくて安達哲の「さくらの唄」のほうがよくわかる」
そうかも、しれないそうゆうスタンスもあるとふまえた上で、自分の居るまたは居たスタンスを考える必要はあるかもしれない。

かと言いつつ僕は「さくらの唄」よりも「リバースエッジ」のほうがスタンスとしてわかる気がする。
それは僕の生い立ちから考える必要はあるかもしれないけれど、やはり一昔死んでる人を見てたことは凄く衝撃的だったし、今も引っかかってるかもしれない。また昔の元カノがリストカットにはまり自殺未遂をしてたことがショックで今でも気にかかってる、もう彼女とも再び交わることもないと思うし遠い噂話程度も聞こえるか程度なのだけど、何か何処かで僕が彼女が遠くでも生きていると、思うだけで自分も生かされてるような気分になると、思うことが今もたまにあって、そんなことあんなことが今の僕は未だに抜け切れないように思えてしまう。また、そんなところで僕は「リバースエッジ」を支持してしまうのかもしれない。

しかし岡崎京子の評価って疑問に思うくらい高いところで評価されてる気がする。かといって僕は岡崎京子の「PINK」はそんなに良くわからない。

でも、なんとなく普通の若さのもやもやした感じは「さくらの唄」などのほうが良く的を得ると思うのだけどな。