ロザリンド・クラウスは良く好んでギリシャ神話のアルゴ船の話をこのんで言い回しましたが(ぼろぼろの船が、金で作った部品で交換しつつ船が変身する話。構造的に原形をとどめていつるが全く別の物にかわったと言うこと)、その話ある意味クロスオーバーな見解をみる時に、クラウスが用いたように使うのは容易だ。しかし、アルゴ船を考えてみて、金に部品を置き換えた物は本当に船だったのだろうか?水に浮かんだとしても、ここで「船」を定義する物は何か?(この場合それは全く「船」では、なかったとも言い切れる。)
構造的に置き換えられても本質的には全く別の話ってのも当然あるよな?構造的に置き換えれれはいいってもんではない。それぞれのことで固有の問題はある。(2001/03/12)