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スタイルとしての『乙女』、人格としての『女の子』

Last Update : 2003/02/04

『乙女』と『女の子』は、一致するようで一致しいない。『乙女』はあくまでスタイルや趣味であって必要とあれば交換も自由なのだか、『女の子』は多分10代から20代初めにあるだろう人格で自由に取り替えることは出来ない。
『乙女』とはそれなりに文学とか映画とか音楽とか美術とか嗜んでて品の良い心掛けが目に見えないところ随所にあるりつつも、すげー品の無い洒落もOK!みたいな。ク〜僕はなんと乙女に弱いことかと今さらながら自覚する。意外と美大の女の人は乙女が多いようで実は可成り少なくて情報過多なところがあったのではないかと思う(それはそれで否定しない)。
それに比べて『女の子』しいて言うなら中学の女子バレー、バスケ部などにいがちで夢(憧れの先輩の為とか)見がちでその夢の為、是が非でも恐怖の行動力!で行動する(ノってる時はいいのだけど、シッペ返しは痛い)その上、陰険で、気が変わるのが早くて、本当か嘘か不確かな噂は恐ろしいスピードで広まり根拠があるんだかないんだか分らない言い訳も多いし、少しでも群れると自分の発言は消えがちで(「みんなこう言っている」みんなって誰?みたいな)即座に純粋培養する。色々、難しい『女の子』。
世の中の女の人皆乙女だと良いのに!って単純に思うけどそれは有り得ない。ならどうやって共存するかが色んな意味で自分の周りの楽しい環境作りはあるのじゃないかと思う。
補足として『乙女』と『女の子』は違う価値観なので時期的に長い短いってあるだろうし、何方も常にある人もいるだろうし、コインの表裏って人もいるよな。アーメン。(2000/11/15)