※諸事情あって正月は東京にいます。暇な時間は不定期ですがイベントごとなど声かけて下さい。そうすると喜びます。
最近友人KTのお宅で、色々な人達のパーティがありました。そこで集まった人の話を聞くと思ったよりこのページを見ていた印象。そもそもここで書いていることは友人との話し合いや最近見たこと聞いたことからふと気になることを僕による僕のためのページなんですが、中々僕が話し合った気になる友人はネットにあんまり繋げてない印象があるので、何時かの話し合いの気になることがあって書き残してもまず見てないだろうし、反応はないだろうってことが話の流れとして僕になっとくさせていたけど、意外とどこかで見られていてあれはどうなの?と言われることは、気になる話題を話し合えて素直にい嬉しい。でも「ネットに書いたことばかり話すなよ」とか言われると、ん〜確かにそうなんだけど最近の気になることは取りあえず書くしかないし、そんなに毎日毎日色々思うことがあるわけでもないしな〜って思ったりもする。そこでそんな話題の一つ。
「盲点をそらす」
方法としてさけられないのだが、それを顕著にするとドツボに入りかねないこと、例えば音楽で言う楽曲とそのプロセス、映画で言う物語性と編集、絵画で言う具象性とその描き方やあり方の問題等々。それらの前者を強調すると古く臭いとか言われ、後者を強調すると単純には前衛的とかわからないとか言われ要素も単純になりかねないこと。様々な分野の文化のクリエイティビティは殆どその後者をある目標として求められてはいるものの、それを求めきったところで前者のようなある豊かさは求められず、複数のある前衛性を別々にそして並列に求めることでそれの変わりになる傾向がある。
今年映画のポール・トーマス・アンダーソンの「マグノリア」をみて、僕がガ〜ンと思ったのはどのジャンルでも中々そのような問題点を解決できていないようなところでを解決して見えたから、かといって今から思い出すと何処がそうかんじたのか良く分らなくなるところもあるのだが、あの軽快なストーリーと編集はなんだったのだろうか?
そんなこんなを色々思っていたことを友人もまた気になったようだったので、また話し合った、彼が言うにその盲点をそらすと言うことらしい、かといってロランバルトの例える天皇制のようになんらかの中心から巧妙にそらして周りを形つくることで、中心を表出させることではなくて、なんかしらの問題点や彼の言葉で言う盲点に付かず離れず問いつめる、時には惰性で時には真剣に、向かうことが大事なのでないか?といっていた。またポール・トーマス・アンダーソンの前の映画「ブギーナイツ」を見た彼もそれを感じたらしい。
その後熊谷守一の「へたも絵のうち」を読んでいると、友人は常にいい絵を描かないといけないと言われるが、熊谷自身は別に何時もいい絵を描こうと思って描く気もないと行っていたが、その意味はそのようなことかもしれない。
そう思うと見るぶんには、現代で言うゴダ−ルでなくウッデイ・アレン、ポロックでなくてデ・クーニングが面白く見えてくる。(2000/12/16)