キェシロフスキ「I'm so-so」を見た。初めにイレーヌ・ジャコブのビデオメッセージを見て、ジャコブが老けてることに驚いた。もうねウッディアレンもそうだけど。勿論自分もそうなんだけど。日本の俳優や友人はある程度定期的に顔あわすぶん何とも思わないけど、外人の人は頻繁でない分、落差も大きい。そうそう萬來舎・ノグチルームで偶然会った大学の友人にも子連れになってて不思議な気分だった。世の中の流れに遅れて老け込んでいく俺がココにいるよ。ここにillぜぇ!
「I'm so-so」のエピソードで気になったこと、
WTCか何か天才が起きたとき、NYの鼠もフランスの鼠もそれに気付くことが出来た(日本の鯰みたいもんか?)でも人間にはその危険予知は出来なかった。
キェシロフスキが6才の頃、ボーランドの町中で象を見た。(その土地には象なんていないとされている)でもキェシロフスキはそれを見たと確信している。世の中には不可思議なことも当然のようにある。
僕にも、こういうことが4才か5才の頃あった。勿論僕も確信してるところがある。今僕の目の前に松浦さんが現れて欲しいと思った。
「偶然」のエピソードに触れて、何か一つの出来事で運命が分かれても、その人自身は変わらない。ただその人の周辺の政治性が変わる。運命とは政治性の変化のこと?
「I'm so-so」は、アメリカの文化は肌に合わないエピソードのことで、アメリカで「最近どうだい?」と聴かれたらアメリカでは普通に「絶好調だと」と答える。でもキェシロフスキなど「まぁまぁ(I'm so-so)」と答えてしまう。僕もそうだ、アメリカ文化はネタには出来ても本質的に理解出来ない。
遺作heaven
ダンテの神曲を引いてテーマ別に作ろうとしたとか
「キェシロフスキの世界」クシシュトフ キェシロフスキ (著), Krzysztof Kie´slowski (原著), 和久本 みさ子 (翻訳)
品切れー。