ある人の話があってその人の友人は彼のことを
「純粋読書をする」とかいってて、「純粋○○ってなんだろうな」純粋労働とか、純粋料理とか、純粋運動とかね、考えてました。
その彼は、もう僕には手のつかないインテリ、僕が「これはこうで面白い」とか言うとそれに繋げて倍面白く話をふくらます。でも僕には彼がどうしてそういう思い発想が出来るか想像もつかない。でも、彼が何かライターとか編集者とか自分の知識や知恵をより生かして伸ばせる仕事しようとすれば?ってことは何もしない。
ただただ「純粋読書」をして、「あー、この発想とアレが繋がった!」とか毎日思ってるだけ。ってそんな人がいるんですね。
で僕は「純粋」に何かすることは何かって考えてました。例えば自分で食べる為に料理する「純粋料理」とか健康管理でするマラソンや、リハビリなど「純粋運動」だとかねそれは、いくら美味しくても、世界記録出しても何にもならないそれは、判断する人はだれもいないんですから、共有したり交換出来ることは何もない、社会もないってことだと思います。
美術なことは「表現する」って前提で思われることも多いのでそのようなことと、一見無縁に思えます。でも実際はそんな珍しくもないし良くあることなんじゃないかなと思います。
で、そういうことが無駄な活動で何もならなくて、どうでもいいことか?と言われれば、そういう人でも物事でもやっぱり大事だと思うんですね。あんまり価値を生む見込みはないけど誰かが熱心に打ち込んでしまうこと、例え
ば、ボランティアや、フリーソフトウエア運動、2ちゃんのくだらない祭り等々、あれが僕は不毛な活動だとも思わないし必要悪なんていえません。