「絵具の「美味しそう」な感じは、ナビ派と関係がある」
だそうだ友人が言ってた、本当かどうかは良く分からないが考える価値はする。
まず美味しそうなもので作られたモノはは、何かと思うと、まずレストランの先にある蝋細工が浮ぶ、あれが美味しそうに見えようと見えまいと作った人の考えをまず想像すると「美味しそうに作りたい」と考えてまず間違いないだろう。あの蝋細工が美味しそうに見えるとしたら、まず発色が良い、ツヤツヤしてることじゃなかろうか?
また偶に絵の具をパレットの上や絵の上で美味しそうに見えるときは、どんな時か?絵の具がクリーム状だったり、ボットリと流れ盛っていて時で、何となく柔らかそうと感じる時だと思う、そのときに連想する物は生クリームのようなものだったり、パテ料理のような質感を感じるときだろう。
そこで「絵具の「美味しそう」な感じは、ナビ派と関係がある」として作品が魅力的に見えることがあるとするのなら?その理由は、絵の具のツヤツヤした質感や物質性を出しながら、モチーフの発色ではなかろうか?
じゃあ、クールベ以降大体、印象派あたりまでの(例えばモネとか)、絵の具の物質感を保ちつつ何か具体的な要素をモチーフに書いた作品とナビ派のそれは、どう違うの?ってことになる。それで違いを見るとしたら、大体美味しそうなモノは、暖かく捕らえようのない形が舞い上がり、回りくどいがつまり湯気があがり、美味しそうな香りを放つ。香りとは不思議なもので、お腹がすいてるときには付近で嗅ぎつけられると、少し近付いて嗅ぎたくなるし、嫌な臭いには遠ざかりたくなるものである。つまり自分とその香りを放つモノには、近付きたくなるとか遠くに行きたくなるといった、遠近感や魅力を強調する要素がおこる。
これは絵の中でも、魅力的なモチーフは拡大や誇張され、そうでないものは逆になるとかいった変化を描きわけつつ、実際に見えたこととは違うように描かれるナビ派と言われた作品群と、クールべ以降の物質性を残しつつモチーフを捕らえた見方の違いであると同時に、「美味しそう」に見えるナビ派の説明として成り立つのではないかと僕は考える。