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Talking Takanobu Kobayashi (1996)

Last Update : 2003/02/04

 皆さんは、最近のコンピュターゲームのポリゴン画像を見られたことはあ るでしょうかxyzの座標上では形の質感が空や地面や動物も全て水銀を固 めたような均質な質感で、写真のように平面的なものになっている。
  その空間内で見る以前に現実の空間においてはどのくらい柔らかいかを知 っていても、その立体座標の空間内においては、停止画すべてが同じ確か さで見え、動画になって物と物がふれ合うことで始めてそれぞれのものの硬 さに気づかされる。
 小林孝宣の画面も、またそれと似た質を感じる。 絵画の歴史上では均質な空間を求めた動きとしてミニマルアートがあったが、 彼等の不明瞭さを挙げるとしたら無駄なものを排除して純粋に美しいものを のみを残そうとして、現実に必ず残される色や刷毛むらや、平面に対しての 厚みをも、許さないはずなのに発生してしまう壁紙のような浅い表面になったことや、 図像としての絵画が日常性を写し出す様な働きを持ちにくくなった点にある。

 ところで小林の絵画では大きさによって保証され多様な半永久的に均質 な質感や画面を保ちながら、その不明瞭さを補うかのように小林にとって犬 や墓場の菊や噴水がマニエリズム的に扱われていることにとても興味深く おもいます。その小林氏に僕が質問した様子をレポートしました。
(1996年5月頃、西村画廊での展示をされた頃でした。上の写真は 「HOUSE DOG」 1995、下の写真は「WATER FOUNTATION」 1994 )

山内 :
ペットととしての犬について、ある程度の広さしか回れない首輪や決められ た広さの庭など、束縛があるにもかかわらずいつも自由だろうと思ってニコ ニコとした姿があるけど、その犬を束縛するものが、僕らの生活の上でどの ようなものを指すのかと思って、ぼくは毎週週間ジャンプを読むとか、テレビ ドラマを毎回見なくてはいけないかもしれないと思うことに当たると思うのだ けど、小林さんは、僕らの生活のうえで犬の首輪のような束縛をどのように お考えですか?
小林 :
首輪の様な物とい宇野は単純に家というものにつながれているでしょ。それ を今の現代人に例えるならば家に縛られて、くわえてる骨というのは人工的 に作られた物で、専門家に言わすと自然食を食べるよりあっちの方を食べる ほうがいいらしいのだけど、いわば偽物の骨なのだけど犬には本物が欲しい と抵抗する意識がなくてそれで満足してしまうので犬にとっては嬉しいことの 一つで家に繋がれてるとい宇野はマイホームという幻想が、時代的にはもっと 前なんだろうけど家を買うことが夢の人って結構いて、社会的な夢としてでも その家というのは習慣ではないけど感覚的には当たり前の事と思って家を買 うことの夢を持っていたりとか。無意識的なことに対する恐さ、意識的にそれを 考えてそれを意識的に自分が束縛されていることを知りながらそういう生活を しているひともいるし。
山内 :
そういうことを考えると、僕が小学校の頃朝シャンがはやったけどあれって 清潔さはいいけれど、恐いくらいの潔癖症があるでしょう。清潔なのはいい けれどそこまで気を立てていいのかと思います。
小林 :
それは都市を見ててもそう思うでしょう。例えば新宿の副都心とか完全に 整い過ぎてしまって、俺にとって味気なさ過ぎる。それを美しいと思う人もい るけど俺なんか小学生の頃思い描いた未来都市に近づいてるとは言い難い。
山内 :
多分未来像というのはその時々の幻想が描かれて表さらたものだと思いま す。だから実際チューブの中をエレベーターが進む未来やブレード・ランナ ーや未来世紀ブラジルのような未来もこないと思うし、大坂万博の頃なら新 幹線や宇宙ロケットという重いものが高速で動かせるテクノロジーの普及と その弊害に暗く思うことの移しとして未来像を借りてその時代を表してきたと思います。
山内 :
次に小林さんの絵は具象的にしては、形の作られ方というか光の具合が非 常に作為的なのですで、それには見る事に対する現在の障害を感じるのだ けど小林さんは今見る事や知覚する事をどのように感じてますか。
小林 :
俺とかなんか視覚的に見た事が先にきて、ある程度観念的なのがあって、 見るのがあったりして、それは生活の中で区別なくランダムに感じる時って あるでしょ。で、自分としては家からアトリエへ通う事が日常でそのとき見た風 景を感じ取る。だから犬とかもそのとき見た風景でそれっていうのは最初はた だ単に見えてくるものに目が行くものは、今までのの経験から来る好みや背 景にある社会の成り立ちとかから自分の考えている事があって、それがある からこそ見えて来るものがあって、自分なりにあって、例えば犬なら犬に自分 に気をとめて見たときに最初に僕なんかかわいい犬だなぁと思って通り過ぎ て、また日常で通るところだから何度でも何度でも繰り替えし同じ道を通って 見るたびに自分の中で違う気持ちが出てきて自分や社会の環の中でそ のようなものを見ているのかなと考え直す。犬を見たときに特にそれを思う訳で、 そういう物を見た時に特にそれを思う訳で、そうゆう物を何度でも見て気持ち が強くなると絵にしようかなと思って描いて自分自身その犬を見た時、どう感じる かを分析的に見てだんだんとそれが思ってこられる絵になったら絵として完成です。
山内 :
作品の大きさについてどのように決めますか?
小林 :
僕は画布ではなくパネルでつくるんだけど、まず初めに描くモチーフと自分の持 つイメージからそれを表現するには、どれくらいにするかがあるね。モデルの実 物大から大きくするか小さくするかを感覚的に考えて、大きなほうがいいかなとい った時にだんだん構図をドローウィング的にイメージを詰めていって決まれば次 にパネルの大きさを決めるんだ。ただ単に大きくしようと言うより、物によっては 大きくならないものもあるし、そのモチーフにとってのベストサイズを探して、とり あえず描いて少し大きいかなぁと思って小さくする時もあるし、結局自分にとって は画面の大きさはかなり重要なポイントに早めの段階からなっている。
山内 :
最近の展覧会で言えば三戸芸術館の「絵画考」(注1)や60年代のジャクソン・ポ ロック以後の絵画批評の出版化(注2)や6月のセゾン美術館の抽象表現主義展な ど世間から忘れられたはずの絵画の見直しが頻繁になっつて来ていますがその ような現象をどう思いますか。
小林 :
結局、展覧会をやる方で作る事は始め一つや二つあっても、いいインスタレーシ ョンやパフォーマンスする作家がいつもいて、その中のどれかが仕掛け出てくる 事はあると思うし、俺が思うにピッタリな時期があると思うし、日本で言えば地震や オウムなど目をそらせない事が起こってるし、そのような事は抽象的に表そうとす る事が難しいという必然性はあるけど、一つの事で括るという事が日本的ジャンル分 けし過ぎる。もう少し平たく同じ現代を表す物を並べて・・・。
山内 :
そこから競う場が必要でしょう。
小林 :
そのような並列の残像として見た中で何が残るかは結局、平面も立体も変わらない。 作品を見た後に自分の中に残る印象みたいものを日本だけじゃないのかもしれないけど 流れが見えそうになるとマスコミとかが、ドッと来るし展覧会が増えると今までやっつてき た人間じゃ数が足りなくなって、それを機会に新人に目を向けられてもいいと思う。また、 美術の世界でも人口が少ないので、ブームを機会に忘れられる事なく見る人が少しでも 増えてほしい。
(注1) 日本の若手絵画の作家を取り上げた企画展。出品作家は小林孝宣、堂本右美、辰野登恵子など。
(注2) 「モダニズムのハードコア」太田出版のこと内容は米国のモダニズム美術の立て役者、クレメント・グリンバーグの批評を中心にそれを現在どのように解釈するかについて取り上げられている。


「Talking Takanobu Kobayashi」芸術評論紙T-C vol.4(9/1996)(再録)