ヴァーチャルpcとか、エミュレーターが入ってるパソコンって、シュールレアリズムっぽいですね。マックだとか、ウィンだとか全くルールの違う世界が一つのマシンやモニタを共有していて、しかし全く書類を共有できないって、ことが面白いです。
シュールレアリズムで言う夢の世界と起きている世界の記憶の共有はできないけど、出力する媒体は一人なんで、そのすれ違う記憶をどうやって編集するかに、シュールレアリズムの面白さはありますからね。逆にスタイリシュなシュールレアリズムは、面白くないですね。
アーカイブ論でシュールレアリズムを考えると世界は広がるな。
そんなこと思うため、アートはあるんだな。でも、アートと異ジャンルのクロスオーバーな視点を持つのはいいけど、その地点から発信するって何か胡散臭さがぬぐえない。メディアアートとか、クレオールな発想か、今はそう思う。(2001/06/29)
昨日あるイベントであった話。なんでもその方は大学で、美術を専攻されてて、シュールレアリズムに興味あるとか話されており。普通だと、僕の立場は、どんなふうに美術にも興味もっててって話して、シュールレアリズムに対して思うとか思わないとか話さないといけないのもかとおもうのだけど、驚くことに偶然以前から僕のページを読まれていたそうで驚くほど前ふりがいらなく興味深いところだけ話せばいいのだ。なーんか凄くないかIT革命。そんな話。
僕が今シュールレアリズムに興味あることがあるとすれば、結論的に色々な言語の事柄が一つの世界に集約されており、一つの言語でソレを読み込んだときソレにある事柄全てで集約できない、また別の言語で読み返したところやっぱり別面で読み込めないことが出てくる。そんなことを技法的にフロッタージュやコラージュなど使ってできたことだったのではないかと思う。
具体的には、言葉で2ch用語。「マンセー」(ちなみに韓国語で万歳)「オマエモナー」でも、英語でクリアな意味で伝えようとする。でもクリアに訳せることばもあればそうでない言葉もあるだろう。韓国語に訳そうと同じようなことは言える。しかしながらクリアに訳せないながら相手になんだかよくわからないけど、そんなことがあると伝わることもあると思う。又別にファイル共有ソフトで、WINの自分が偶々興味あるアドビ系で開かれるだろうデータを落とそうとする。しかし保存のされ方や圧縮のされかた共有のされかたで開けるものもあれば開けないものも互換性であるでしょう。しかしそれが何なのかわからなくとも検索すればはっきり使ったり見たりできなくとも、だいたいのことはわかってしまう。
そんな、アーカイブの大海のなかで自分がいろんな見方で拾いこんだもので、わかること、わからないこと、しかしあるブラックボックスにあってクリアにわからなくとも大体わかること、全く想像つかないことが同時に含まれてるように感じるときシュールレアリズムは面白い。 (2002/02/03)