熊谷守一ブームだ!ブームも何も以前から好きなのだが
「へたも絵のうち」熊谷守一(平凡社ライブラリー)を読んだり、池袋の熊谷守一美術館へ行ったり、行ったついでに画集を買ったり、その後よった古本屋にて朝日グラフの熊谷守一を買い損ねたりと、まぁ何時になく熊谷に触れる機会を増やしているだけだったりする。
熊谷守一は、一般的には「仙人」だとか、青木繁と同級生だったとか、牧歌的な塗り絵的なスタイルだとかで納まってはいる。しかし色々文献を読んで絵を再び見て思うかなりのは絵作りを、かなりロジカルに組み立て発展させて、それも一生変化していったのではないかと思う。ふつう40ぐらいでスタイルを建ててそのフォーマットに流して死ぬまでってのは大家って呼ばれる人にはありがちなのだけど、熊谷は40もなかばでスタイルが出来て死ぬまぎわ「太郎稲荷」(1975)でもまだまだ変化しかけてる。そんな人中々いない。
ここで少し気になったコメントを引くと
「数学者の考えてる空間と、絵描きの考え方は似ている」熊谷守一
また同級生の山下新太郎の回想によると学生のころ(多分1910年ごろ)水彩画で裸婦を描いたあとになにやら、幾何学的な丸や四角の線などを入れて、赤や青で塗っていて、山下氏は何をやってるのか分らなかったそうだが、のちのちキュビズムの登場が出てきて熊谷は面白いやつだったって話が出てくる。
そこで気になるのは、熊谷の評価がキュビズムの登場によって評価されていて当時の同級や講師にその理解がなかったこと引いてみると日本の画壇の現象も含めての形式、また熊谷のその後の表現形式がある意味ピカソやブラックのキュビズムの登場後のキュビズムにまつわる作品の変化とはまた別の発展を辿ったこと等々。
またまた戦時後(1948)に日本の美術のあり方について「飢えているからこそ、絵や音楽が必要なんじゃないか。アメリカは現在満ちたりていているが、かえって必要とされていない」と言い切っているものかっこいい。それを聞いてるとその当時抽象表現主義が出現していたアメリカの、ポロックなんかも、ただ当時のアメリカバブルに乗った作家であって彼も小さく見えてくる。勿論80年代アメリカのバブル期のアート程酷いものでもないのだけど。
熊谷守一美術館カフェもついていてお勧めです。
住 所 東京都豊島区千早2−27−6
TEL 03-3957-3779
交 通 地下鉄有楽町線要町下車、徒歩8分
休 館 月曜日
※毎年5月頃熊谷守一の作品が他の美術館からも借り出されて展示されるそうです。また近いうちに全作品の画集が8万円くらいでるそうです。(12-07-2000)