2004/10/04 (Mon)
そういえば今、東近代美のRIMPA展が、大入りだそうで。行ってはないのだけど、だいたい琳派の絵柄が、色面構成がバンバン明快で、例えば、アートアンドクラフトや、ポップ・アート、構成主義などと対応させて見られる、ってところが好評でそこで動員していると。
しかしなー、大体そういうことは、まめに常設展を見比べれば容易に気づくことで、あえてそれを一緒に持ってきた展覧会をしたところで、想像できたことの確認になってつまらない気がする。想像できたことも含め更に確認できないことも一杯あって驚いたとか、そういう企画展であって欲しいと思う。
僕がそういうことを期待して楽しみな展覧会は、上野のマチス展!
マチス展行かなきゃな。
しかし、想像できることが確認出来る展覧会ほど、つまらない展覧会ほどつまらないものはないと思うけど、なんでRIMPA展ってそんな大入りになるんだろう?一般的な美術に関心ある人は、案外、その程度の想像力で期待して行って満足ってもんなのかな?それは残念なこと。
以前から少しはてなのyskさんの話題で出ていたイナカルスタということが気になっている。そういう言葉がもう既にあることばかと思ったけど、yskさんの造語らしい。
オネアミスの翼の監督が「私は地方出身者ではあるが、田舎者ではない」と言われていて、僕の案外そうだったかもと思う。 いや本当に地方のほうの田舎の人だった人が都市に出てきて、コンプレックスでそういう話でなくて
かと言って僕は多分、都市の人にもなれない、都会には多分住めない気がする。息苦しくなる。人が多いとか部屋が狭いとか。 勿論、仕事や通勤でなど何かの切っ掛けで行くには全然構わないんだけど、 僕の育った街は、金沢市の芳斉というところで、なんだろ、昔は町工場とか多かったみたいけど、そういうものは殆どマンションに生まれ変わって、市街地、商業ビルとか企業ビルは少し離れにあるけど、あくまで住宅街の下町、街は老人ばかりで子供がいない。そんなところ。
家を出て例えば東京の小平市とか国立市とかすんだけど多分、その東京の街より金沢の実家付近の方が都市のように思う。多分。 大学の頃、小平市にすんでいたけど、もう本当に何もなくて交通も不便で今思うと気が狂わなかったのは、付近に誰か住んでいることが多かったからじゃないか?と思ったりもする。 国立はある意味、住める場所のボーダーのような?多分国立よりも新しいニュータウンでより郊外の所には住めない気がする。小平市の窮屈さはそういう感じなのだと思う。 かと言って、街のど真ん中なんて死んでも住みたくないなと。
かといって下町ってところはドンドン減少方向で、いくら大戸屋のような庶民的な店が出来て、昭和ブームがなんだと言っても、駄目だしなぁ。
田舎にも都市にも住めない、かといって昔ながらの下町は減少方向、行くところがないなぁと思ったりする。 案外、三谷と言わなくても南千住とか僕には良い街なんだろうなぁ。とか思ったり。
勿論、すごい方田舎に住んだり育ったりしている人や、街なかに住んでいる人にそういうところが駄目ですよ。とか、そういう話ではなくて、なんというかな?
(続き)
そういえば浪人の頃、名古屋の今池というところに住んでいた。 あの街は良かった。下町で、ヤクザとかテキ屋とか住んでそうな感じ ニュータウンで残念なのは、ヤクザとかテキ屋が住んでいなさそうなところだよな。駅前ヤンキーが居るとか居ないとかは話にならない、というかどうでも良い。
うーん、田舎に住めない、郊外のニュータウンも苦手、都市も駄目。やっぱ下町、でも下町ってのは今絶滅種。
古屋兎丸:π パイ amazon
樹海のおとしもの 謎コーナーが一番気になったというか、恐いというか
bushが会議中に書いたイラスト ブッシュ絵がうまいな。
ミスタードーナッツ・グッツ博物館 「アメリカが青春だった頃のアメリカがある。」 わー、むちゃくちゃ当時ポイント集めてました。懐かしいなぁ。
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