2004/05/18 (Tue)
シベリア少女鉄道 vol.10「天までとどけ」について書くよ!ネタばれで
→そう何か聞かない変わったと思うのは役者。
まぐら日記・過去ログ「染谷さんがいない……」
染谷景子
→この舞台は、運動できない人による運動についての演劇なんですよね。
この劇団面白さを語ろうとすると話のネタを書かないことには説明できないのでお話を書きます。
登場人物
・過去があるカメラマンの女子
・トラウマをもって堕落した体操選手の男子
・彼のおかげで昇格した体操選手の男子
・その後輩
・天才新人体操少女
・そのコーチ(過去は棚ぼた優秀選手)
・堕落した体操選手の男子の彼女
など
まずシンプルな話。
オリンピック出場を狙う若者達のお話。
堕落した体操選手の男子が、何故過去のように優秀な選手が何故成績が芳しいのか誰もわかりません。
過去の天才少女の弐の舞のような今の天才少女を育てる、コーチは過去優秀な選手だったようですが、実はそれは彼女のライバルだった少女が運動出来なくなった為でした。
今ナンバーワンの成績の選手はつい直前で足を捻りました。
後輩選手は試合直前まで寝ていて遅刻しました。
誰もパーフェクトなコンディションで試合に向かえません。それでも試合は始まるしやらなくてはいけない。
実は、過去の天才的な天才少女は報道カメラマンの方でした、今はカメラに夢中です。彼女は昔、事故にあい選手生命を絶たれました。その事故現場をその運動選手も居合わせましたが試合の練習の為、見放しました。それがトラウマの原因になりました。
そんなことはありましたが、みんななんかしらの形でスポーツに向かわないといけないそういうお話です。
さて舞台の話です。
オリンピック試験の中盤まで話はスムーズに進みます。劇団員みんなスポーツマンの格好をしてもとてもスポーツマンに見えません。
競技場の舞台は極端に遠近法が強調された舞台です。とても安全にスポーツを演技できる場所ではありません。
さて試合が初まります。
選手の役者は黒子に着替え、自分のモデルが貼られた段ボール箱を抱えて、人間業とは思えない動きをします。動く選手は段ボール箱です。しゃべるのは黒子です。自分で自分を操作することで演技します。
あれよあれよと、その動きの中である選手は鉄棒を回ったり、ある選手はアキレスを切ったりします。まるで紙芝居を操作するように、ミニカーを走らせるように黒子が操作します。
もの悲しいスポーツの悲惨さを感じます。BGMにロシア民謡の「ペドラーズ」が聞こえてきます。実はその段ボール立方体の箱を組み合わせた形をしています。幾つか形がパターン化しています。むむむ、実はその箱、テトリスのブロックの形をしていたんですね。ドンドンステージ上にブロックが積み上がります。テトリスだけに一列並ぶとソノ列は消え、となりの対戦相手の列が積み上がります。どんどん、どんどん、幕がしまるかのように積み上がります。ほとんど積み上がった時、の役者の会話は、ゲームをしている会話なのか?劇中の話題なのか、よみとれず、つい笑っちゃいます。そして積み上がると同時に幕がしまります。
そんなこんなで、劇中の役者の振る舞いも、役者自身も、運動は完全な形ではできない!だけど、劇を完成させるため、やらなくてはいけない。そんな話なのです。
いや舞台って僕よく知らないし興味もそんなない世界なんですが、こういう狙いの舞台は凄く入りやすいし面白いです。物語を構成するシーケンスが常に際だち、また進行することで、そのシーケンスすら破綻するような、だけど物語然とした物語はしっかり進行してしまう。こういうお芝居なら大好きになれそうです。
・
「すごいことなんてない、ただ当たり前のことしかおこらない」フリクラ
僕のまわりの世の中の出来事が、実はある世界から見ると非日常的なことだとしたら、「あたりまえ」な凄いことってある世界では日常的なことなんでしょうね。っか日常的な場所って何処?
このまえとある店で出されたグラスが「家っぽい」といわれていた。そのグラスは以前に何処かで麦茶やカルピスを飲んだような、何かの景品のような?ダサいミッドセンチュリーモダンなデザインのような?しかし、多分、その「家っぽい」と言いあった人々の家には、多分そんなグラスはないと思う。つか「家っぽい」って何?
|