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yamauchinamu

news / data:2004/05/03 (Mon)

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2004/05/03 (Mon)

展覧会の準備しています。
グループ展なんだけど展覧会を久々にします。絵も飾ります。omolo.comのどっかにあったなぁ?って絵とか展示されそうです。
テーマは四畳半の国作りです。
期間中、僕とかが作品などのトークをするのが6/5(Sat)
以前やったパイ投げなどのビデオ上映会が6/12(Sat) です。
場所はワセダのアップリンクギャラリー2004/5/26(Wed)-6/20(Sun)
フジテレビの「テレビ美術館」という番組で特集が組まれるそうです。

それにさしあたりお手伝いして頂ける方を募集いたします。
日程は、
5/23(SUN)はPM7*00から11時ぐらいまで
5/25この日は一日フルで
あとイベントの日の会場の手配出来る方、搬出の作業も出来る方がいらっしゃれば嬉しいです。

設置の作業内容は、そんなに美的な技術スキルはいりません。此方でフォロー致します。ハサミで切ってノリで貼ったり、チョークで落書きしたり、パシリんぐとかになります。体力もそんないりません。図画工作が好きな方ならそれなりに楽しめそうな作業にしたいです。というか僕の作品はそんな感じです。
いまのところ残念ながら特に僕の方からお金は出せません。しかし手伝って頂いた方になんかしら参加して良かった経験にさせたいと思っています。何かあなたに特殊な能力があれば此方で考慮もいたします。
ご興味があれば是非御願いしたいのでメールでご連絡くださいませ。御願いいたします。

やまうちたかし
info@omolo.com



mixiやりすぎて、他のことが手に付かない。mixiやめたい。なんだか浦島気味。

!!!!!!!!kiiiiiiiiiiiiiiiii!!!!!!!!!
が凄くカッコよかったです

こんな音響系(あるいはAVANT系)CDの販促用手書き帯文&ポップにはもうときめかない

ヴォーリズ建築、解体へ 大阪・生野のプール学院

最近聞いて、あーって思ったこと
「アンドリュー・ワイエスはアメリカの東山魁夷」

「地底GO!GO!GO!−今「地下」がアツい!」 ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス
>『帝都物語』(荒俣宏/角川文庫)
>今和次郎がいとうせいこうだったのも印象的。
そうだったんだ!帝都物語を見たのは中学の頃で今和次郎を知ったのは大学生の頃でした。
今和次郎は元祖「トマソン」みたいひとと言えばいいんでしょうか?

先日LA★BOUMに行った。これがずっと楽しかった。

kiiii!が凄く格好良かった。マラカス姉妹はビクビクソワソワDJしなくなっていた。ゆめさんの選曲は以前のようにカッコよかった。

りょんさんが、んっ?と思うチョイ前のハウスをかけてゴリラのように踊っていた。
クリストファー・ドイルが写真撮ってた。

昔、昔、はるか遠い、ネットの彼方へ
いや、ネットもしてない7-8年前の風景に僕は連れ戻されてしまっていた。
今の青山はプラダが出来たり話題性はあるんだろうけど、どうも僕にとってはモヌケになった場所のようになってしまったように感じていて、
当時の青山は、セゾンやミズマなどアート・スポットがあったり、BLUEとかバー青山とか蜂とか、当時良く出かけた夜のお店もわりとあったので、良く出かけた町だったように思う。今はそんな行かない。

りょんさんが、ゴリラみたい踊っていたと書いたけど、勿論それは僕なりにの褒め言葉で、昔そういう場所で、良く見かけたカッコいい女の子たちを思い出していた。当時しりあった彼女たちも、当時学生とかフリーターだったのに今はOLさんとか、企業家とかになっているのは時間が進んだ感じを感じさせていまう。
今、たまーにナイトクラブとかいくもののそういう女の子たちは何処にいってしまったんだろう?と思っていた。若い人でそういう人ってもう居ないの?とか、LA★BOUMに行ったらそんな僕の疑問も消えてしまった。
そう思い起こすには、りょんさんのかけていた曲も僕には心憎く、当時の僕の行っていたナイトクラブとか、アシッドジャズから、トリップホップの移行期で、トップホップと、ガラージっぽいハウスを繋いだり、ドラムンベースとボッサノヴァやサンバを繋いだりとかって繋ぎでよくやっていて、当時の繋ぎのような音楽を、りょんさんは良くかけられていた。
そして、そういう場所では、ゴリラのように馬鹿みたい踊る可愛い女の子がいて、なんだか「好き」とかそんなんじゃなく「尊敬」みたい感じで僕にはカッコよく見えた。

そんな当時知り合った友達の一人が、クリストファー・ドイルの友達?か何かで、よく彼の話題をしていたような気がする。そういえば割と、チョロチョロ、バー青山か何処かで、彼を見かけたなと思い出したり、僕自身面識も何もなけど。
そんなんで、クリストファー・ドイルって東京に住んでいたみたいけど、ウォンカーウェイの映画のカメラマンになった頃から、台湾か上海か?その辺にいるんじゃなかったっけ?って、なんとなく思っていた。そんな彼を青山で今再び見かけたのは何か凄く奇妙な気分。彼の持っていたカメラも以前はフィルムの一眼レフだった気がするけど、馬鹿チョンのデジカメになっていたのは時間の経緯をかんじてしまった。

そういえば、当時のあの店、
当時ぐらいのころ、知人がそこで勤めていたのでよく出かけた、入り口が妙なところにある小さなお店で、当時の青山でひょっこりある隠れたお店という感じ。
僕はまったくそういう方とかと話し合うこともなかったけど、割と青山界隈の音楽や出版関係のギョーカイ人とか、むっしゅかまやつとか昔ながらに東京の「何処か」に潜んで居そうな人もよく見かけたように思います。
その店は今でもあるんだけど、店長が変わったか何かでお店の雰囲気も変わってしまぅた。僕が思い出しているのは。
その店長が粋でイナセで、僕が出会った頃は多分、50代過ぎだったような気がする。彼は若い頃、家出しそれまでそれまで親とも一度も顔を会わすこともなく、若い頃は、赤テントなど当時の現代的な劇団などによく関わって居たそうだ。また当時もその当時のあの店になる場所は、やっぱり夜のお店で、当時のロック好きや、運動家のような人が集まるお店だったか?何かで、その当時いつかこういうお店を持ちたいと思っていたそうな、僕が彼に出会った当時、ご高齢なのに、足を骨折し、保険も入っていないので自宅治療をしたりなんかで、もう無理はして欲しくないと思うものの、彼がそうしないとやっていけないこともあるので、なんともいえない気分になっていた、そのお店に訪れる人はみんなそういう彼が好きだったように思います。僕も好きだった。
その彼が、その後とある事件でムショ行きになったんだけど、それで当時のお客さんも点でバラバラになって、そのお店のオーナーも別の方に代わって、それ以降今思うと僕の好きだった青山の場所も全く訪れる機会も減った気がします。つか移転したとか潰れたとか、そんなことばっかりだったけど。
その当時のあの店の店長がその後、ムショから出てきてるって話は、何処か噂で聞いたけど、誰も出会ったって話は不思議と聞かない。無事に生きていて欲しいと願う。



仕事場が終わって30分ぐらい青山まで歩いた。銭湯に行って2時間ぐらい時間をつぶしLA★BOUMに行った。クラブに行く前に銭湯って、ちょっと新しい、100円で風呂セットを購入できて、そのタオルでクラブで流した汗も拭ける。
あたらしい(つか、オッサン)


  
Up, Up and Away