2004/02/02 (Mon)
お風呂に入りながら考えたアートのこと
1.
元々絵画は、壁画や建築の装飾としてあって、不動産的な役割も多く、ルネサンスのころは画家という職業はなく大工の一つの技能だった。それからキャンバスの発明により動産となり作品そのものが資本と結びつきやすくなり、画家という職業も出来た。それからそれから、野外彫刻だとかインスタレーション(直訳は「展示するもの」のはず)が出きて、レリーフ状のものとか、空間演出などで、建築物とむすびつくようになる、そういうものと資本の結びつきって結局企業と作品の結びつきがパブリックアート式が落ちなのかしらん。
また絵画は抽象表現以降、肥大化傾向がでて、近代頃の、小振りなサイズの作品のスタンダードさって、どうなのかしらん。商業的な商品って話でもなく、コンセプト的に。
2.
あるコンテクストとコンテクストの合間をうめるコンテクストの発明とか、カルチュアル・スタンダード的に「これこれこういう年代の状況や立ち位置がこうだから、今ここではこうです」とかそういう検証や考察自体、ポストモダン的というか、いや昔「ポストモダン」とか何処かトキメキで話された時代より全然ポストモダンな世の中で、そういうこと言っても、どうよ?!って思ったりもー?比喩の比喩の比喩なんて、なんだかんだ言ってもその言語を共有する内でしか出来ないもんだし、そんな小賢しい状況詮索よりも、もっとストレートな認識論みたいの考えてたほうが全然良いよねとか。例えば、見えたものは、こう描きあらわされて、それがこう見えるとか、その見え方の違いを考えたりとか、考えたりしたほうが、あんなこと、そんなこと、やるより全然良いとか。何となくおもった、そういう世界にどっぷりだから。
キミにこの話、わかるか?僕には、わからないゾ!だけど、なーんか、そういうこと考える。
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