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yamauchinamu

news / data:2003/12/30 (Tue)

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2003/12/30 (Tue)

一昔、ネットもまだ無かったころ、よく売り文句で、「日本では未だそんな聞きませんが海外では評価が高いんです」って話は、それなりに聞いて効果があった気がする。別に海外で評価されてる人を皆駄目って訳ではないけど、なんか今は、何処何処のこんな界隈でこんな風に評価されてるとか、聞かないとイマイチイメージは出来ないし、今でも昔でも、何かを伝えるときに「何処で誰が何をどんなふうに何をしてるか?」みたいなクリアさがないと、どんな話題も伝わらないなと思った。当たり前と言えば当たり前の話。


はてなダイアリー - Chieの日記
「もと美術批評をやっていた開発チエの日記」
blogまでしてるぽ。
僕がまだ中学生の頃、素朴に現代美術に関心あったことと言えば、大体、ラウシェンバーグや、ジャスパー・ジョーンズとか大体60-70年代ぐらいから活躍した。アメリカの素朴なアートぐらいだった。関心はあったけど良くわからなかった前後する時代の作品例えば、抽象表現主義とか当時の彫刻の作品を見たこと無かっし、どんな展示の仕方で何を展示していたか良く分からなかった、ポストミニマルあたりになると何か文献を読まないと分からない気がして、それが何か分からなかったので入れなかった。
あと、昔の絵といっても高々近代ぐらいまでの作品程度で、それ以前の作品は、どんな視線で見て良いのかイマイチ、ピンと来なかったし、そんなセザンヌもマチスも分からなかったし(今も?!)、なんかロートレックや中村彝とか見て筆触の中途半端な決めが格好良く見えるとか、熊谷守一の絵を見て構成主義みたいでカッコイイとか、結構素朴な作品を素朴な見え方で見ていた気もするし。取り立てて美術に関心あるわけでも無かった。(それよりも関心があったのは音楽)
そんな頃当時の雑紙とかの記事で、例えば上野俊哉とか椹木野衣とか野々村文宏とか開発チエとか西原みんとかその辺のライターの人の記事を読んで(特にどの雑紙のどの記事ってのはないけど)、当時は「なんか最近の現代美術もおもしろいことはあるな」と、例えば富山近代美術館の天皇画の話や、マイク・ケリーとか、シュミレーショニズムの話とか(勿論そういう話題が単純に面白い訳でなく、そういう出来事や作品が触れたりするテーマや問題に関心があった。)
当時の僕が更にその後の現代美術に関心をもつ切っ掛けがあるとすれば彼ら無しには無かったんじゃないかな?と思う。
勿論、当時の関心や思考や理解は今でも同じように思い続くことはないけど良い切っ掛けだったと思う。

一寸気が向いて古本屋で当時の本とか見ると、ライターでもアーティストでも今どうなってるんだ!って人が本当に多い。その分、世代交代とかあって先にあげたライターの方でも、西原みんさんと曽根裕の奥さんになって、そう分筆業みたいなことは聞かなくなったし、開発チエさんもそんな聞かなくなっていた一時期彼女が作ったウェブは見かけたけど身心的になんだか凄く大変そうだったことが遠巻きに心配する気分で読んでたことをがあったなと思い出したりしていた。
その開発さんが最近「はてな」をされたようで、遠巻きながら「あぁ」と思った。
しかし美術のライターもあの時(90年代前後)より様変わりして、今はあの時よりも圧倒的に叙情的なというかアホな読み物を書く人は増えた印象がある。
今のライターっていうと割と僕と年が少し上だったり同じぐらいだったりする。勿論ライターと言っても記事の面白さ+編集の人に見込まれる(それなりに営利につながる)って能力が問われるけど、ある程度両立できてる人って誰なのか良く分からない。そんな時知人まわりの話をホイホイ書くのはどうかと思うけど多摩美芸学まわり(もう全然学生でないけど)のissuesの人たちとかもっと、普通に見かけるようになると良いなと思う。その中の一人、土屋さんとか美手帖で今は展評を連載してますけどね。美術手帖普通によまnnnnnnnnnnnnnneeeeeee!(w

「はてな」の開発さんの記事は一通り読んだけど、今時のその界隈の人のいい方でいえば「チャンコロ」で「ワセダ」な文体なんだけど、僕よりも一回り二回りも年齢が上の方なので、そういう人がそういう文化をフォローしてるだけで良いかと思ったり、するけど、やっぱり、それってどうなのさ?と思ったりもするなと思った。










  
Up, Up and Away