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yamauchinamu

news / data:2003/12/04 (Thu)

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2003/12/04 (Thu)

2 Many DJ’s #_LISTEN(視聴)
凄く良くできてる。あーーーーあーーってついつい思う。いろんな意味で見習いたい。

例えばピカソやブラックが、キュビズムをすこし完成していた形式がパピエコレ一見コラージュ風の様式だけど(例えばこんなの)、凡庸なコラージュと異をなすのは。その絵画作品が飾られた壁のレイヤーのようにその作品があり、かつ画面の中に壁紙や新聞などがレイヤーとして貼られ又はそれを模したディテールが描き込まれ、複数のレイヤーを覗き込むことで、ベースとしてある平面のマトリクスが不確かになる。それにも関わらず、その画面は何かしらの統一感がある。

例えば、僕がはじめて「Grandmaster Flash - The Adventures of Grandmaster Flash」を聞いたとき、この曲が録音されるときに吹き込まれた音源で、何処がサンプリングや引用された音か良く違いが分からなかったが(多分この音源はライブ演奏はターンテーブルだけの筈?)、変なライブ感が巧妙にグルーヴ感や統一感を感じた。その統一感を感じることが、何処にがライブ感を感じて、ついつい何処かで「この声はこの音源しかない音や声だ!」と思ってしまう。つぎはぎレイヤーでついついベースになる音が何処か聞きはずれてしまう。パピエコレの作品をみているような感じ。2 Manyはより巧妙に2つの曲をリミックスしてほぼ一つにしていまいメガミックスしていくと、

今、例えば、パピエコレを発展した?視覚で何かみて面白いと思うことがあるなら、例えばボナールとか一見自然な一枚の絵のように見えているようで、ついついレイヤーのようなモノを感じて、層を目で探して追ううちに、ついつい空間の歪みとともに、自分の追っていったはずのレイヤーが何処か良く分からなくなってくる。そういうものこそ、キュビズムやパピエコレの発展したものかもしれない。僕は基本的に複数のベースを持つことで、基礎的基本的な空間がが良く分からなくなるような作品でも好きだけど。それがある程度完成したスタイルの物事がどんなもんか、ついつい考えたりします。例えばメガミックスものの音源や、コラージュやサンプリングの作品はとっかかりには良いけれど、なんか凄い未発達な感じがします。

そんなこと思いながらなんとなく最近ひっかかるのは、Simon Turner / Sex Appealにある「California Revisited; Incorporating... ... 」を聞いていて、レコードのブツブツノイズをわざと入れてるんですね、CDで聞いてるのに、レコードをCDRに落としてるものを聞いているような感じとしうか、これが、媒体としてあるベースなしな感じなのか、楽曲としてベースなしな感じなのか結構微妙な感じで、曲が往年のサーフィンサウンドのカバーメドレーなのに、ノイズ?みたいところが、心憎いというか。「媒体としてあるベースなしな感じ」って曲ってことにかしこまると結構興味が無かったりするんですけどね、例えばOVALが曲をCDのスキップノイズを音源にして曲をつくってCDで作品にするとか、そういうの。

ベース無しなそういう音楽で、かつ纏まりがあって、完成した作品のイメージってどんなもんかしらん。と思ったりしてます。



  
Up, Up and Away