2003/11/30 (Sun)
人は死ぬときに良く走馬燈のように今までの出来事を見るとか見ないとかと、いう話がある。そんなものあるかどうか?良く分からないけど、あるとして、 「わー懐かしい」とか「昔は良かった」って写し出されることを見ておもうだけなく、ディテールやシーケンスや舞台設定を、みて「これどうなってるの?」とか「このあとどうなるの?」と思うモノであって欲しいと思う。「なーんだ、ビデオみたいのんだった」と言うのはあまりには退屈。いや退屈と思うことすらないものかもしれないけれど。
なんでも、最近WINNYで逮捕者が出たとかで、そういうものでピリピリしたりヒヤヒヤするのは、なんでもファイルに変換できるとか、それを使って得するとか損するって思惑の元で、働くけれど、そんなファイルに変換出来ないものってなんだろう? それは、その和気藹々としたムードだったり、美味しさだったり、においだったり、様々だけど、今の世の中のもの全てはファイルと言わなくてもお金とか、なんでも交換や変換できるのもとして成り立ってるところが、なーんか可笑しいような。いや交換出来ることを全く否定しないけど。
昨日「バイキングビッケ」をMXTVで見ていて、ビッケの社会は、物々交換と貨幣社会が共存していて、なーんか、そんなこと思った。
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