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yamauchinamu

news / data:2003/11/25 (Tue)

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2003/11/25 (Tue)

良く会社とかの人がいうことで「ほう・れん・そう」という言葉がある。僕は、あの言葉のセンスが凄く嫌いなんだけど、その意味は凄く正しい。出来てあたりまえのはずのこと。「ほう・れん・そう」は勿論「報告・連絡・相談」の略。
で、まぁネットを使っていろんなやり取りは簡単になったけど、「ほう・れん・そう」の「そう(相談)」だけはネットは使っていけないと言われた。凄く真っ当だ!


しかし、getwildのことを考えるのは楽しいな。何処まで想像して実際出来ても出来なくても、それは凄く楽しいことだと考えてる。
アートで日本の80年代といえばそれこそセゾン文化でおいしい生活で、セゾン美術館の時代だったんだろうなと思う。80年代のアート話は、日本ではニューウェーブと呼ばれた、川俣正、宮島達男、岡崎乾二郎や、超少女と言われた人が登場し、まだ藤枝晃雄が、バスキアやキースへリングやクレメンテなどニューペインティングに文句を言い、日比野克彦がヘタウマでイラストブームで、ある程度本格的にジャスパージョーンズやラウシェンバーグやボイスの輸入化って風景まとめて、セゾン文化のアートな世界だったようなきがしないでもない、そういうのも直接的間接的に見て育った僕は、セゾンの展覧会に入ったりして、ある意味末端のセゾン系と言えなくもないが(爆笑)、もうぜんぜん、そういう括りの時代や文化でなかったので、それに値する人でも全然ないだろう。
 僕が見て良かったなとおもうアートのセゾン文化は、ジャスパージョーンズやラウシェンバーグの輸入化(今も僕は大好きさ!)、メセナとして文化事業モデルの創作(崩壊したけど)、岡崎乾二郎の評価(当時のことは詳しくしらないけれど、南天子画廊とセゾンが彼を評価しなかったら今の彼はなかったんじゃないか?と思う。それは酷い損失のはず)
 あと今のアートの話題は関心ある話題で世間的に評価ある話題は全くないけど、スーパーフラットとか聴くと、JACAとか日グラとかのイラストの風景を思い出すし、村上隆という人は当時のそういうキラキラアーティストみたいな作風とスタイルに恐ろしいコンプレックスがあったに違いないと想像出来るのは容易、奈良美智とかも割と見られ方が当時でいうところのペーター佐藤とか日比野克彦が帰ってきたようなデジャブ感を感じずにいられないよね?って僕は思う。僕は当時も、そういうことも今もあんまり関心ないのだけど。僕の父親は異常にそういうことに関心示していて凄く困ったもんです、中学生の頃、なんか日比野克彦のハンカチか何か買ってきて弁当包みにさせて(当時困った)、いつだったか?実家に帰ると村上隆の机にあったときは、割りそうになった。そういう文化を回想するには良くても悪しきものの生き残りは困るということ。そういえば僕は未読ですがARTFORAM誌でしばらく前80年代NYCアートリバイバルみたい話があってメインで書いたライターがScott Rothkopfさんという人だそうで、76年生まれで「ハーヴァードの神童」とか言われてるそうな、何かいてあるか?少し気になる。そういえば昔TDKのTVCMで、ウォーホルが「アカ、アオ、キイロ、グンジョイロ」とか言ってるCMを見て「あか、あお、きいろ、うんこいろ」とか言って喜んでる俺が昔何処かにいたことを思い出していた。


あと、getwild参加者のサイトを見ていて凄く楽しくて、以前から書き続いているのですが、僕がこのイベントに参加できそうで良いなぁって思うことは、以前omo*8が一度終わる時話題になった「インジビジブル・クラスメイト」という言葉で、その言葉を聞いて思い出すイベントは、bewitched!というミニコミを手にとって面白いなぁって思いその冊子の裏表紙にあったイベント告知(確か吉祥寺のハッスルだったかな?)をみて「行きたいなぁ、知らない人ばかりで不安だな」と思うと同時に、それはその冊子を手に取った日のイベントで行けず、インターネットをやりだしてomo*8というサイトを見だした頃、「88/98」というイベントのレポを読んで、又もや「行きたいなぁ、知らない人ばかりで不安だな」と思っていて、こんどのイベントに関しては、そういうイベントに自分で参加してイベントを作ることになるようにおもえるので、これはこれで凄く声をかけてくれた人にも感謝しているし、すごーく楽しみなのです。「インジビジブル・クラスメイト」イベント!。

ポッキーゲームもあるのか?!。ワーワーワー!ポッキーゲームって想像では、スッゲー期待と妄想とアソコが膨らみますね。でも現実的にやるぞ!とかになると「えっ、やるんですか?」とか言いそう、ワーそういうとき、どうすれば良いんだろう、「ヤロ!ヤロ!」って乗って言い出したほうが良いのか?ああぁ〜〜〜〜〜〜〜〜。一回やったことはあるんだけどな、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、ポッキーゲーム、!!!!!!!

d.hatena.ne.jp/Tigerlily/ [book] 美大の女の子100人に聞きました「あなたの感性を磨く! この一冊」
こちらを読まれたレビュー。
僕も以前そのサイトは読んではいたものの、「あーやっぱり」感でなんとなく流れてしまった気がします。というか酷いなぁと。
いや僕も一応美大の油絵科とかいて、普通に話題にモノ足りなかったというか、(勿論その時であった友達を否定するつもりもないし、たのしいこともあったけど)、なにか普通に、ちょっと何か良いもの素敵なものや方法をみつけてしまうと安住してしまう感じがどうもアレだった。しかし同じ学科の同学年で100人いて話題があうのが5-6人で、せっせこアトリエで本や漫画や画集やCDや七輪、食べ物など、持ち合って共有アーカイブみたいことやってくぐらいが精一杯。で「あの映画はどうだった」とか「こんどこの講演会がある」とか「あの展示がどうの?」とか
僕の居た学科は2年から3年にかけて教授アトリエクラス分けがあったときも、あの教授につきたいって希望は誰も無かった。しいて上げるなら戸谷さんだったけど、彼は非常勤だった。
で、何を基準に僕はそのクラス分けを選んだかというと、友達の話を聞き優秀だと思われるクラスメイトと一緒になりたいぐらいの希望しかなかった。
 以前、岡崎さんもにたような話をしていた、岡崎さんの当時と僕の当時も雲泥の差があったと思うし、同じように言うには非常におこがましい話だけど、彼も多摩美の彫刻科に入って、頭が白痴化しそうになったから直ぐ辞めたとのこと。



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