2003/11/22 (Sat)
omo*8を読んでいたら飯島愛の話題が、僕は飯島愛という人が嫌いじゃない。いや結構好きな人なのですが。飯島愛という人はなんかそんなそういう話題あんま出ないけど、ハイエナジーというかクラブ・ミュージックというかそういうのは凄く良く聞いていて、多分他のも聞いているはず? AVで最初に当てた金の使う目的は、NYCのパラディアム(設計:磯崎新)に行きたいとかで、僕は、パラディアムってどんなDJが居てどんなハコだったか知らないけど90年頃、知人とかでNYCにいった人は大概そこにいってハウスとか好きになって帰ってくる。想像では凄くcoolなとこだったんじゃないかと? で、飯島愛×DJ KENSEI??が出る出ないとか?『プラトニック・セックス』REMIX中西俊夫 TYCOON TO$H、SKYLAB、Howie B、Malawi Rocks、Andrew Hale...飯島愛トリビア。
最近一日一回getwildのことを考えていて、90年頃はワールドミュージックでエスニックみたいな話題が結構あったなと流石に僕は東京に住んでなかったので六本木WAVEとか無かったけど、僕が良く聞いていたNHKFMミュージックスクウェアの金曜日?でワールドミュージックの日があってそこで知って良く聞いてたのが、Les Negresses Vertesだったけど。 The Trojansとかも、skaと言うより民族音楽みたい切り口で良く紹介されていたような?関東に住んでいたとしたらクラブクアトロでライブ見て六本木WAVEでCDを買ってってそういう音楽を知るのだろうけど。
僕の居た町(金沢)では、当時良く行っていたクラブの店長が偶々フランス帰りで、Les Negresses Vertesの友人かなんかで、何故か?Les Negresses Vertesがかかると割と上げ上げで、Trojansのギャズ・メイオールも何度か来てたし行った気がする。なんかそういうゲスト来ると大体4000円ぐらいで高かったなぁとか。 なんか、あと外からDJかなんかで来る人が大概立ち寄るレコ屋ってのが一軒決まっていて、なんとなくそういう人が来そうな時間に居合わせて、何を抜いて何を買ったか?なとなく調べて後で買ってたような気がします。 町レコ屋でレコードジャングルという店で、サルサやソウルやファンクが強くて全国的にもあんまない品揃えと価格だったので、昔は良く買っていた気がします。たいだい金沢で音楽聞く人は何処か?黒っぽくなるのは其処のせいで、ロカビリーっぽくなるのは富山人のせいだと思う。それはそれでDJが来てなんかやっていったり、そういう音楽が聴けたのは当時のそういう環境だったんだろうなぁ。 あと当時僕が偶に東京に行って新鮮だったのは、渋谷のスミヤと、新宿のVinylで、スミヤは山のようにサントラがあるよって驚いて、Vinylは80年代のポップスとか安かったり(金沢にはそんななかったネオアコとか)hiphopが変にレア釣上げしてなくて良かった覚えが。あとはWAVEやタワレコ、HMVは綺麗で大店舗で驚いたけど、そんな欲しいのが直ぐ見つかって直ぐ手に取れる感じゃなかったなと、でも円高で12inchシングルが900円ぐらいで買えるのは安かった。
なんだかそんなことを思い出していた。そういえばそんなこと思うと当時の格好も少ししたくなる。ツーブロックで、タンランみたいジャンパーとか、細いズボンとか(要はドラゴンボールのトランクスが登場したような格好。渋カジ?)で、そこから少し着崩したような、だらしなく延びた紙、パンツが見えるくらいズリおろしたズボン、パーカーの上にTシャツ、大きめのラルフローレンとか、普通のフレぺのポロシャツとか、スチューシーとか。今では洋服とか全く興味ないけど。なーんとなく。
そういえば僕は岡崎京子の「リバースエッジ」に出てくる人と確か同じ年で、あの漫画に出てくる人が、その後どんな風になるのか少し考えたりする。そういうことをそういう年で、その漫画を読んでいた人はやるのかな?
はたまた、そういうことを、ぼわわわぁわんと、思い出していた。
文字化けしない日本語サイト
木彫の妖怪 おもしれーな。
オタクはどこへ行ってしまうのだろう? そういえば「アートはどこへ行ったのだろう」。明治頃は「美術」も多分舶来サブカルチャーで「親や教師が子供に勧めるような時代が来て。そんなものに子供は見向きもしなくなり、あっという間に廃れてしまうだろう。」しまったの?なーんとなく。 アートってのはアレだよな「美術」だからこうなんですとか、ロジックやセオリーや技術がある以前に、「美術」以前にそれは一つの民俗学であるって前提で踏み込まないと、足が救われるなって最近思う。それはいい歳して子供じゃないんだからって時に、関心持つ場合。
生きている木を使った建築。 ツリーハウス以外もあるんだなぁ。
サンヨー薔薇チェーンの地方CMを纏めて見たいです。
ニコラ・テスラの写真 バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクのモデルは、E.A.T.のビリー・クルーバーさんみたいけど、ニコラ・テスラのクレージーな感じもぽいですね。 ベル研究所ではビリー・クルーバーはプラズマ、後にレーザーの研究 Kluverインタビュー(ハンス=ウルリッヒ=オブリヒト) Kluver's statement
映画「グーニーズ」の続編 制作中
なんだか夢で凄い面白い美術談義を聞いてる夢を見たけど、目が覚めて確認したら話の登場人物や時系列がバラバラで、冴えない話だったんじゃないか?と思い返した。 その話ダヴィッド(普段も夢でもそんなピンと来ない)が、描いた歴史寓意の絵でかつ自画像の絵と、なにげなく叙情的に彼の妻サスキア(レンブラントの妻の名前)を描いた絵を比べて。美術を専門としないライターが偶々美術の記事を見つけ、それを読んだ美術論者が褒め、何故か?僕がその人のアシスタントで、3人で話を聞く。 夢の中ではダヴィッドは16世紀から17世紀の人で(本当は1748−1825)、その自画像が一般に歴史画や自画像と言われるが、寓意を表すモチーフが計算機とかカメラとか何かを計ったり記録するものが多く、その妻を描いた絵は構図やポーズが写真でしか撮れないような動きをしていて、ダヴィッドが当時、無意識やオートマチズムみたいなものを比較的簡単に扱い、一般的には繋がらないように僕には見えた(夢の中で、そもそもそんな絵はない)絵が繋がって面白く見えた。っー話。 たいした話でもないし夢落ちなので、アレだけど。そういう人と作品が本当にそうだったら、面白いね?面白いのか?と思ってこの文を書いてる。
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