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yamauchinamu

news / data:2003/11/15 (Sat)

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2003/11/15 (Sat)

中学生日記 「歩く女・走る男」
演出/佐々木正之
面白かった。
「10年ぶりに復活した「校内マラソン大会」を舞台に、異性のために頑張る者、イジメからの脱出のチャンスにする者、学校史に記録を残そうとする者など、自己表現のパフォーマンスとして、大会を捉える生徒たちの姿をとおして、現代の中学生の生態を、楽しく・・・そして、思春期特有の叙情性を込めて描いていく。 」
 10年ぶりに復活した「校内マラソン大会」は美術の矢場真介先生(竹本孝之)の提案で、指定の時間と範囲内で決められたチェックポイントを通過すれば、何時何処で何をしてもいいルールでマラソン大会を決定する。普通に走る子、遠足気分の子、チェックポイントで監視する先生、抜け出して海辺で釣りする先生、物語で主役なのは、ダンスチームに入りたくて抜けそうなトロい男の子、近いうちに引越しが決まりその日に家出を決めた女の子、それをマラソン中に知って止めようとするトップランナーの男の子。
 ダンスチームは大会近くマラソンなんかやってられるか!とコース内で練習、案の定、トロイ子はチームから外されそうになる、彼は練習の帰りマラソンの終りで、自分をチームに常に入れてくれるよう賭のレースを挑む、なんとか勝つめでたし。
 家出娘は、トップランナー君に自分の秘密(家出とか、自分の趣味とか)をうち明け、トップランナー君に家出を止められる、防波堤で海辺でとちょっと良い感じ、コースや時間は初めから外れっぱなし、こちらも家出止めで、女の子がのるフェリーの到着とトップランナー君がフェリー到着地をゴールにマラソン内マラソン。トップランナー君は送れてしまったものの、彼女は余裕で手を彼に振る。彼女は家出するのしないの?!彼らのゴールは何処?
おわり。

そんな話、レース内レースでそれぞれのゴールがあって、トップランナーだけでなく様々な人間模様が混ぜられていて面白い。かつ、その「校内マラソン大会」のルールはその年だけのマラソンルールなので、物語範囲が過剰にふくれることもなく刹那な収まりが物語りルールにあるように見える。話が前編後編1時間枠なのでアレだが、もう少し時間があれば登場人物の設定を増やしたりディテールを入れられるような?むしろその方を期待する。
うーん、何か別の映画に例えるなら「ナイト・オン・ザ・プラネット」のような別の場所、別の人の物語が、同じ時間に別々に起きてる話というか。。
中学生日記は偶にみるようにしてるけど「オォ!」って思う話が偶にあります。あと中学生萌えとか言ってる人はかじり付いてみた方が良いような?あと(再)料理少年Kタローの次回はプラネットボンバーなのか?ミュージカルタッチなので料理少年Kタローシリーズでは録画用意<俺。ほか「ひょうたん島」アラビアンナイトシリーズは10年前躍起になってリメイク版みてたころに見覚えないだけど、リメイク版でないのか?僕が当時みなかっただけなのか?

最近テレビがみたいと思う番組が割と出てきた。一応みたいと思っている番組は「中学生日記」「ポポロクロイス」「小さなバイキングビッケ」「ハローモーニング」(なーんだ、子供向け番組ばっかだな(w)
あとテレビ欄をみて、見逃した「ぉお!!」って思ったのは「世界美術館紀行/ギュスターブ・モロー美術館」ギュスターブ・モロー美術館は、凄く良いと評判を聞く、「マチスの先生」とか「サロメで有名」とは言ってもモローはあんまり好きではない、でも何故か松浦寿夫さんとか南川史門くんとか行ったことある人には評判がよく「正直なんで?」って思うモノの、僕もパリに行った際、門の前まで行った。だけどメンテナンス中とかで入れなかった。そんなこんなで、再放送はチェックだ<俺

NHKが熱い<俺の中。

 ノンリニアで映像編集覚えだして、イライラするのはエンコードの待ち時間。イメージは出来てるのに、上手くファイルが書き出せなかったりするのは本当にムカツクあと、HDの空きも常に気になる、ギガ単位でバカスカ無くなる。パイ投げの映像編集は完成のイメージは出来た。DVD今月中に出来るかなぁ。オープニング用もエンディング用の映像も作らなきゃいけない。
出来たらどうやって売ろう?なるべく売れるなら売りたい、でもある程度ウェブにもアップはしたい。うーん。
 あんまりと言うか全くデザインフェスタとかGESAIとか出す気にもならないんですが、DVDって媒体とかだとコミケとか売りやすいかも。つかコミケとかなら出店は一度してみたいと思う。かと言いつつ作業的に冬コミって無理、来年の夏コミなら行けそう。なんて考えてみる。DVDの量産、ひとまず100枚ぐらい作りたいけど一枚500と考えて5万円それでも高いなぁ、つか最低ロットは100なんて無さそう。




d.hatena.ne.jp/crossage/『STUDIO VOICE』1992年2月号「特集★文学へ まだ死ねずにいる文学のために」
「「文学は死んだ」とか、「瀕死状態だ」とか、「百年以上前から死んでいる」とか、「どうやったら再生できるか」とか、「死んだ言ってるやつが延命させとんじゃ」とか、10年前はまだこういう言説をスタジオボイスなんていう雑誌でやれる牧歌的な時代だったんだなあ。ヤスケンがいっぱい吠えてた。今だとこの手の言説は、死んだか死んでいないかという議論に関わる人間たちこそが死ぬべきものを延命させてるのだ、というメタ的な言説まで含めて、もはや「風景」になってると思う。」

 僕は文学の世界を知らない、つか文学に相応する文学をそんな読んでない。しかしこの言葉聞き覚えがある。「文学」は「絵画」に「スタジオボイス」は「美術手帖」に、ヤスケンって人はよく知らないけど、多分藤枝晃雄または、針生一郎あたりに変わる気が、つか、JAZZでも映画でも「○○は死んだ」ってテーマを持ってくることは、酷く凡庸な気がする。酷く凡庸だ。そのうえそういう話には大体「死なない」ものの話(普遍性か?)がイマイチクリアにならない。「死なない」もののの話がハッキリしないのに○○は死んだって話をされても、あぁ結局は「次は○○は来ますよ」って資本主義の話に見えるのは明快、つか資本主義って凄いね、「どうやったら資本主義死ぬの?資本主義の次は何が来ますか?」と簡単に○○は死んだって話題にする人に聞きたいもんだ、ガハハ。
 話は大体、何故駄目なのか?蘇らないのか?とか次は何なのか?とか。そんな話よりも、これこれこんなモノがよく見てこう考えると、こんなに面白いし何でも出来るとか、そういう話の方が楽しい。
 あと誰かが上手いこと言うなとおもったことで、誰かが「○○は可能性ある」とか話にしたところで「可能性」があるとかないとか、言い出す時点で、その話や論理には可能性がない。



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LEOPALDON  3rd ABLUM 「ヤバコプター」試聴

割とパソコンを使うようになって、記録されたデータベースを繋げて考えるのは比較的簡単になった。逆に今足りないなと思うのは、何かちょっとしたものその辺に転がる石ころとか鼻紙をみて想像できる想像力だよな。記録は有限だけど、想像力は無限だけど力が弱小。
あぁ、何かみて何かを思い出す思い出したい、今僕が出会って魅力的だなと思う人がいるとしたらそういう人だろうな、つか、その考えだと、出会う誰でも常に魅力的なはずだ。


  
Up, Up and Away