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yamauchinamu

news / data:2003/08/26 (Tue)

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2003/08/26 (Tue)

いやもう僕の家はキノコ生えるぐらいだから、最近すこしづつ整理してるんですが、単純にハドソンキャラバンのファミコンロッキーとか、珍しいシールとか嬉しいね、でも、変に手間がかかってるので捨てるに捨てられないけど、それほど大事なものか?と言えば疑問が残るもんがある。
一つは口の中の形を型取りしようとして大量に噛んだガム、大きさとして拳骨半分ほどが冷蔵庫の中に、もう一つは7−8年ほど昔、力太郎(あか太郎)でも作ろうかと、お風呂で作り貯めた風呂垢が、やはり拳骨で半分ぐらいビン詰め。これはどうして良い物かと。。。。。
例えば本とかCDやレコード、カード、ゲーム、食玩などあるフォーマットが決まってて、気がついたら貯まっちゃうもんってあるじゃないですが、多少家にもあるけど、ああゆうのはどうも、「面白いので集めて下さい」って前提があるようで、それに気付くと特に面白くなく感じることもしばしばで、それよりも、なんで?それが面白いのか?考えて集まって行くものの方が面白い気がします。
なんか良くあるじゃないですか?「お宝映像」とか「お宝ファイル」とかああゆうものは、大概確認したい欲望と希少性で関心持つことが多くて、本当に面白いと思って見たり聞き込んだりしたいモノって希だと思います。

色々都合があってどうしても見たくて土曜日雅叙園の百段階段に行ってきました。雅叙園って結婚式場ってぐらいの認識しか無かったけど凄く面白かった。
百段階段から入れる部屋は、一部屋一部屋当時の日本画家や欄間職人、蒔絵職人などチーフの作者を決めて委託した部屋として演出されてました。今で言うところの恒久的なインスタレーションと言えば良いでしょうか?
工芸のことはよく知らないけど壁画は至る所にあるんだけど、作者名を聞いてもほとんど知らないけれど、立派な力作がいっぱいありました。鏑木清方の他は僕の知ってる日本画家といっても東京都近代美術館(日本の美術の教科書は殆どココで作られてる)にあるものとか、平山郁夫や東山魁夷など中小企業のような組合系ぐらいしか分からないので、最近も黙殺されてる日本画史の歴史、日本画のサブカルチャーなんだろうなと思った。
雅叙園の百段階段の装飾は日光東照宮から今でいうとコロコロコミックの表紙のようなケバケバしさの系譜なのですが、日光東照宮の頃はサブカルチャーという発想は勿論ないし、明治あたりでartって言葉が美術に翻訳されたころについて来た概念なんだろうなと思った。
雅叙園って凄いなぁ思うんですが。本当に千と千尋の舞台なんですね。創業者が、まず健康ランドを作り料亭を加え、更に結婚式場もつけたって、全ての欲望を満たそうとする商売、いまで言うところのドンキホーテみたいです。最近は当時の発想よりも、やや伝統と高級志向に向いたと思うのですが、新館も少しだけ拝見したとろ、kill billの予告編で見たような外人が見た誤った日本建築っぷり満載のようでで楽しい(分かんないけど本当にロケ地にしたかもね?)

「9・11再来」の可能性、非常に高いと 英調査会社
 ビィンラディンのテロ行為を勿論支持するわけもないですが、テロパフォーマンスとしてWTCの破壊ってのはカナリの完成度と想像力と行動力の上で実現した行為に違いないですが、そのようなレベルのことが出来た人にはある一定した評価が高まってるに違いないと思います。で気になるのはビィンラディンのテロ行為を評価する人は何処でどんな風に評価してるのか気になるモノです。
 ああ、そういえば思い出した、WTCの破壊シーンってあり得ないことが起きた恐怖感もあったけど、「ファイトクラブ」のラストのようにスカッとすることもあったと思い出したよ。
 ビィンラディンとフセインの関係って結局よくわからんね。

SOB-A-MBIENTのPVを見てたら思ったけど、この動画で出てくる蕎麦屋の店内の障子って、桂離宮の扉に凄く似ている、桂離宮でロケって、そう簡単じゃなさそうだし、桂離宮ではない設計のような気がする。何だろう、何処だろう。

イベント FOCUS ホームページ
着ぐるみとかのリンク集。ところで東京ディズニーランドとかで着ぐるみのミッキーマウスを襲ったり脱がせようとすると直ぐとっつかまって、入場禁止になりそうですね。そこで例えば、良くできた着ぐるみ自分で用意して頭だけ被らない状態で、東京ディズニーランドに行って只だらしないことしてるとどうなるんでしょうね?

消しゴムとプラスチックの定規をくっつけておくと、定規が溶けるのはなぜ?

吹替映画研究HP声の出演
そういえば「サボテンブラザーズ」の吹き替え版は字幕版でみるより面白いと聞いたことがある広川太一郎と、納谷悟朗(銭形警部)とあと誰だっけ?ってメンツで面白いらしい。まだそれは見たこと無い。DVDは出ていて日本語吹き替えも入っているみたいだけど、一般に有名な有名、ルークスカイウォーカー=渡辺徹、マイケルJフォックス=宮川一朗太がDVDとか版権の関係で変わったりするのが良くあるようなので、「サボテンブラザーズ」はどうなんでしょうねと、DVD探して借りて見てみるべ。

「もし宗教が存在しなったら、人間ってどうなるんだろうね。全員自殺か、殺し合いか。」
「宗教に依存できる人、薬に依存できる人、アルコールに依存できる人、阪神タイガースの優勝に依存できる人、周りの人からどんなにバカにされ、キチ外扱いされても本人にとって依存できて、それを幸せに感じるものがあればそれだけで幸福だ。この世には辛いからあの世に行けば楽しく過ごせると思える人は幸福だ。なにも依存できなく、中毒できない人間は不幸だ。あの世にいっても、楽しいということを感じないから。今自分にとって何が起きれば楽しいの?って聞かれたところで、なにが起こっても結局楽しめない。あの世に行けば、差別されない、いじめられない、弱者でも救われる、とかなにか解決すれば幸せになれることがある人は、あの世に行けば幸せだ。私みたいな、性格のねじれにねじまがって人間では、あのよいっても幸福ではない。私自身の意識自体を完全に消去する以外はない。でも、自分の意識が消失されて、それで幸せになるということは、非常に不幸だ。それは私じゃなくて別人だ。別人が幸せになっってもしょうがない。私の意識のまま幸せにならないといけないが、それはあの世だろうと無理な話。救いようがない。永久地獄」
「よくロックとかパンクとかの歌で「人と同じことするのは格好わるい、自分だけの道を〜」とかなんかそういう我が道を行こうってなメッセージがあるが、俺は人と同じことをしたくても、できなかった。我が道を行こうとかいう人は、人と同じこともできて、我が道もいけるから本当幸せな人だ。我が道を行って、これは間違ったと思ったら、人同じ道にすぐに戻れるからだ。弱者になっても簡単に強者に戻れる。どうしようもないのは、人と同じ道を近寄ろうとしてもはじきかえされて、どうしようもない人は本当に救いようにない。永遠に弱者。」
「人類最高峰文化と人類最底辺文化の両極端にしかもう興味がなくなって、真ん中が分からなくなってしまった。面白いという感覚を失ってしまった。幼児に戻れれば、少しはまともな基準が分かるようになるのにね。」
屋根裏さんのコメントの引用なんですが、屋根裏さんの話は納得するところもあって考えることが良くあります。あんまり無暗にコメントを抜き出すのは良くないと思いますが、ログが結構簡単に消えていくので転載しました。

コーンウォールの巨人伝説
与那国の巨人伝説
伝説:巨人伝説
大魔神・ウルトラマン・仮面ライダーにおける「カミ」の三変態
最近ちょっとキリスト教のことを基本的なことから調べて居たのですが、聖書上のエピソードでは人間を超えた良い存在は、神とか、精霊とか、天使とか、ある階層で分けられてるものの、地獄など悪い世界の登場人物やディテールはそれに対して刻銘さがあんまりないね。って思った。
キリスト教上の超越世界をあるスタンダートに考えるとアジア的な八百万の神ってシステムは、もう凡人から外れた者は、なんでも「神」になっちゃって面白いなぁ。もう2ちゃんとかでも「神」は幾らでも君臨してくれるし良くも悪くもサービス旺盛、それにくらべるとキリストの神は自分勝手で出不精だとおもったわん。


  
Up, Up and Away