aboutnewscalendarpublicationtextwikibbssearchmailTHE WIZARD OF SPEED AND TIMEmobile

yamauchinamu

news / data:2003/07/05 (Sat)

/ 2002 2003 2004 2005

2003/07/05 (Sat)

J-popや歌謡曲のDJイベントS.O.S.に行く。以前から評判の良いイベントだったので大変興味があった。
一晩通して思った印象は、みんな良く音楽を聴いてて音楽スキだなぁと言う印象。元々別の音楽を聴いていた印象をJ-popや歌謡曲にあててかけてる印象。かといってサンプリングとか記号的なコラージュでもなく、歌声を丁寧にひろってつないでる印象があった。例えばハウスやブレークビーツで習った用法を用いて、ネットで拾った音源やブックオフで安く買ったCDをコラージュでなくブリコラージュで繋いでる印象。
以前からそのイベントは良いよ!って聞いたり、さわだくんとかのサイトで選曲を見ていてもヤッパリ行ってみないとわからないと思うイベントでした。家に帰ってきてから昔良く聞いてたカルロス・トシキ&オメガトライブだとか、今まであんまり聞いたこと無い音楽例えばユニコーンだとか、TUBEだとか、ドリカムとか、TMN等を色々聞いてみたいと素直に思うイベントでした。

はてなの杖日記/2003-07-02-Wed [Society]落書き/グラフィティ関連
グラフィティをアートとして見るとき、例えばロバート・スミッソンのSpiral Jetty, 1970だとか、今まで無かったはずの物が急に立ち上がり消えてくプロセスみたいもの(アートの世界では一般に「サイト・スペシフィック」と言う)は面白いとおもいます。
只、既にグラフィティすることが伝統的又は観光地化したところにあったとしたら本来の目的は変わります。
グラフィティを道徳的に見るとき、器物破損として被害者の手間を考えると迷惑甚だしいのも事実。
グラフィティがある社会を、ニューヨークのジュリアーニ前市長が実践した「ブロークン・ウインドウズ・セオリー(割れ窓理論)」に通して読むと、この理論って例えばよそ者だとかホームレスだとか、何処に属してるか良く分からない人や事柄を排除又は管理する理論ですよね?そういう社会も面白くはないと思う。以前白装束の話題が活発でしたよね?あれを思い出して考えるのは、あの人達は何もパフォーマンスしてたわけでそれをしてた訳でないけど、「今まで無かった」?認識されてなかったのに急にマスコミに認識され奇妙がられたわけで、(道路の封鎖は問題だけど)誰かに酷い迷惑かけてた訳でもなく、奇妙な人たちってだけで煙たがられる(日本でアーティストってのもそういうとこある)、まぁそう人たちが誰かに迷惑かけずに居てもOKって言える社会が良い社会だと僕は思うので、割れ窓理論はそれに反するので間違ってるように思う。
じゃあ僕は結局グラフィティを否定してるのか?と言われればそうではない。場所と方法をわきまえればOKなんじゃない!って思う。直ぐ消えるとか直ぐ剥がせるとか直ぐ移動出来るとか、方法がよければ良いと思う。
ただ今のグラフィティを見ていて嫌なのは、良くないお手本があってそれに引きずられているところです。


S.O.S.というイベントに行く途中偶々通りかかったお店で、Rezイベントがやっていた入場料も高くないくKeiichi Sugiyamaさんのライブもあるそうで興味を持って見ていた。ドリキャスはないので持ってはないけどRezはトロン調で非常に好きなゲームだ。たぶん劇中のあのゲームってRezみたいもんだったかもしれないとワクワクさせるところが好きだ。Keiichi Sugiyamaさんの曲はアルバムで一曲目、多分ゲームだと1面の曲で、結構印象に残ってて好きだった。

そのKeiichi Sugiyamaさんが当日着ていたシャツに「welcome to CHIBA city」と書かれてた。このCHIBA cityってのは多分これに出てくるCHIBA cityにまちがいないはずですが、それを見て思い出すのは
例えばそれがぼくには楽しかったから/リーナス トーバルズだとかあるその時あるネットワーク事情を題材に書かれた技術書ではない面白い読み物や唄の歌詞ってものは、あまりないのだろうか?と思う、単に僕が知らないだけかもしれない。
無いこともないけど、技術系の人とかディーテルに詳しい人がが書くと話があんまり面白くないし、物語の書き手が書くと技術面のリアリティが低くなることが多い、例えばマトリックスとかね。
今だと「オフ会」「メッセンジャー」「ファイルローグ」とか出ると
「テキストサイト/ウェブログ」「グーグル」とか出てきそうですね。別に実話でなくて全然良いと思う。出版で出来る本でアレ、電子出版のようなものであれ、テキストサイトであれ形式は構わないが、そういうものはもっと有っても良いようにおもうし、僕は読んでみたいとおもう。
まだ未読ですが津田さんだからWinMXはやめられない(PDF)立ち読みした印象もそういう印象を持った。また阿部和重のニッポニアニッポンもそういう話なのかな?
なんかそういうテーマで凄く面白いオススメってないのですかね?と。

登場人物で見るレンブラント
Artemisia. 1634.
Saskia as Flora. 1635.
The Feast of Belshazzar. c. 1635.
Saskia at Her Toilet.
The Night Watch (The Militia Company of Captain Frans Banning Cocq and of Lieutenant Willem van Ruytenburgh). Detail. 1642.
Hendrickje in Bed. c. 1648.
Portrait of Hendrickje Stoffels. c. 1650.
Hendrickje Bathing in a River. 1654.
Juno. 1664-65.
最近レンブラントの絵を見ていて「あっこの人見たことあるな」って思う人がいてキーワードだとか、似てるとか、そういう基準で簡単に並べてみた。
ここに並ぶ作品は、30年ぐらいの前後があってその女性像は大体20代から30代ぐらいの人には見える。
同じモデルの人ではないだろうが、なんとなく同じの人に見えるということはどういう事だろう。
岡崎さんが確か話してた話でボンヤリ覚えてる話でヴィトゲンシュタインだったかが晩年、似顔絵論みたいことを書いてるそうだ。例えば10年ぶりの知人とであって見た目の特徴が変わっていたとしても、その人だと捕らえられるポイントはなんなのか?とかそういうことを書いてるらしい。その本はなんなのだろうなぁ?

Majin House
日本の駅で流れるジングルの音源紹介サイト。
こういう音源をネットラジオや友達に渡すCDRやDJに使うと一寸粋で素敵な事だと思う。

TINY PANX
80年代の音楽系イベントやミニコミの紹介サイト

鳩log/"VAIO娘死亡説を追う"
全く遭遇するはずもなく、本当にそういう人がどういう風に居たかも不確かで、でも確実にいる物ある物にたいしての、起こったかも知れない、否起こってたことってどう受け止めたら良いんだろうなぁ。
いや、同時代に確実に人が死んでるのに戦争は起こらなかったと言いたげな人も確実に居て、それが間違ってると思ってはいても、そうと思う心境も全くないこともないというか。
エロ画像のモデルについてと、戦争の話題を同時に持ち出すのは飛んでるとおもわれても致し方ないが、共通することで、遠くの何処かで何かが起こってるらしくてどうすることも出来ないかもしれなくて、どうしていいのか?とか?

smokey and miho
チボ・マットの人のグループ

ガリガリ君

Herbie Mann 死去
バリー・ホワイト 死去


  
Up, Up and Away