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yamauchinamu

news / data:2003/01/27 (Mon)

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2003/01/27 (Mon)

武井武雄の世界
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たあんき、ぽうんき、たんころりん。

竹田 志保「日本アヴァンギャルド論ー安部公房『終りし道の標べに』改稿過程をめぐってー」
「安部公房は島尾敏雄らと「現在の会」を結成し、「記録芸術」という方向性を志向し始める。これは、「自然主義リアリズム」に反し、「内部の現実」をとらえた「シュルレアリスム」を踏まえた上で、「外部の現実」をとらえること、「シュルレアリスム」を否定的媒介にした「リアリズム」を目指す動きの中で見出されていった方法である。」
終りし道の標べに―真善美社版 講談社文芸文庫

もっこりネットワーク

64=65

久々にオペラシティアートギャラリーに行って知人と油をうる。話題は、「モダニズムの延長としての現代美術飽きてきた俺」なのだが、モダニズムの拡張性を引いて20世紀美術を一つ発達発展の歴史として見るなら、もう現代美術は破綻してて、それとともに歩むべきって選択もあるだろうけど僕はそれに飽きたなぁ。ってのが簡単な僕の見解なのだけど
(格闘漫画のインフレ問題で例えれば、戦闘士聖矢など良い例で敵がどんどん強くなり後半、神すらも主人公が倒すと、主人公のその後の格闘意欲も展開もなくなってしまう。似たようなことを今の現代美術に僕は見ている。格闘漫画のインフレ対策として良い例で言えばドラゴンボールのフリーザの変形など、どんどんでかくはなるが、最後能力は高いけどなんか弱そうに変身した、そのような転倒するような展開はまぁ面白いと思う。)
しかしながら、僕も多少ながら現代美術な世界でやってきたところはあるし、方向転回するのもなんだし、かと言いつつソノ世界もなんだしってところがあって、じゃあ別の方向をみつけて行かないとねってことになる。
そんなこんなで最近興味もってみる作品は近代あたりかソレ以前が主だって来ているように思う。例えばマチスであれナビ派であれ、一見発展的な作品のように見えてそうでないところが、面白く見えるのだけど、それを凝視した先の世界は只のモダニズムの延命行為なのか?!それとは別の世界が広がってるのか?は今のところ良く分からない。でもそれしか無いよな正攻法って話とかをした。あとは与太話。

オペラシティの展示を見てて、誰だか忘れたが写真家でモデルの今の写真と将来の夢の姿を比べる作品の方がいて、誰一人と今の自分に満足してる人がいないことに驚いた。一人ぐらい居てもいい気がした。

その後、iccのダニエル・リベスキンド展を見る。大きな模型展だ。リベスキンドは特に好きでないのだが、ベルリンに行った機会にユダヤ博物館など見ていて、その展示の模型を見たので、見比べて思ったのはユダヤ博物館は本物も模型も彫刻みたいもんで、その中に遊歩道だとか居住空間を押し入れた建物に見えた。例えるなら太陽の塔とかみたいだ。
僕はコルビジェのロンシャンの教会の実物と模型を見比べて思ったのは、実物は彫刻に見えたけど模型は建築に(建物に)みえてて、その反転ぐあいが面白いと思ったが、ユダヤ博物館はそれに比べ何かまんまだなぁと思った。
あと気になったのは、展示のビデオ上映室の観客の顔が皆、死んだ魚のような顔の人が多くて、ビデオの内容よりその方が気になった。

(余談だがCDを売る店がレコード屋と言われるように、DVDが普及してもビデオ屋は、ビデオ屋と呼ばれるのだろう)

今日はみがき粉に、思いつきでワサビを混ぜてみた、辛かった。