2002/09/17 (Tue)
田口ランディ×鷲田清一 SM談義 (CHEE'S CANDY)
三菱鉛筆のオマケシリーズ なつかしー。辞書消しゴムあたりから覚えてる。ミニコンポ消しゴムなんて凄い欲しかったな、多分本物のコンポなんかよりも当時欲しかったはずだ!(多分当時は今のように音楽を聞く楽しみをしらないからで、すでにコンポを持ってたわけでない)この83年から87年のものは皆当時欲しくて、今でももらったら嬉しいかも?おもちゃは持ってこないってことで、結構当時小学校でそういうものを持ってきていけないって風潮があった気がする、でも「文房具ですよー」って言い訳できるところにゆるいスリルがあった気がする。
そういえば当時小学校では80年ごろから5年ぐらいか?僕の学校では、チョロQなんて駄目、学校でファミコンは勿論持ち込み不可だったけれど、なんか普通に、コマ遊びとか、ビー玉あてってポピュラーな持ち込みが緩やかに許されてた玩具だった気がする。「コマ遊びとか、ビー玉あて」なんて凄い昔の遊び、僕らの爺ちゃんや親の世代の遊びって聞こえてしますが、本当に流行ってたんだ。金沢の都市部にあった僕の小学校で、15年ぐらい前とか、今思い出すと自分でも嘘かと思えてしまうとこがある。かといってメンコや旗源平はそんな流行らなかった、そういえば女の子はアヤ飛びとかしてた。今の小学生はやるんだろうか? またそんな今ではノスタルジーな遊びその頃当時の他の小学生もやってたんだろうか?ちょっと疑問だ。 でも勿論当時の小学生らしくファミコンやったり、プラモ作ったり、釣りしたり、放課後繁華街へ友達同士や一人で出かけてウキウキしたりドキドキしながら雑貨屋とか服屋に出かけたりとかってことはあったんですけどね。それは当時の小学生としては普通だよな。
昔なんとなく田中 圭一の「ドクター秩父山」を読んでいたのですが、最近彼が新刊を出されたそうで、久々に絵を眺めたんですが、なんで?いつから?手塚治虫のパロディみたいな絵を描くようになったのかよくわかりません。
伝説の“赤塚ナンセンス映画”上映 以前上野の美術館であった赤塚不二夫展にて少し赤塚映画上映してたよ。映画「激突」をパロッた、ドブス女に華奢な男子が死ぬほどおいかけられて犯される映画とかやってたなぁ。
銀座松屋 白洲正子の世界 9月25日(水)−10月7日(月) (最終日5時閉場) とこの話題をutrechtさんで読んだのだけど、utrechtさんお店を構えるようだ。
佐藤 雅彦『経済ってそういうことだったのか会議』文庫本でたそうだ
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